「オリンピックをこれからどう見ていけばいいのだろうということがわからなくなりかけていて、その自分の気持ちに折り合いをつけて総括してやろうという気持ちで書きあげました。要するに、オリンピックは一人の作家のスポーツに対する純粋なマインドを歪めてしまった、ということですよ」

 商業主義に傾く一方のオリンピックに対する批判は、たとえばすでに沢木耕太郎氏が一九九六年のアトランタを取材した『(コロナ) 廃墟の光』(朝日文庫、後に新潮文庫)のなかで、様々に辛辣な指摘をしている。また、マクロ経済学者のポール・クルーグマンも、経済性から見ればオリンピックの開催は合理的ではなく特定の利害関係者に利益をもたらすだけ、と厳しい評価をくだしている。堂場さんも上記の対談の際には、「そんなオリンピックに対する拭いきれない疑問、『今の形のままでいいのだろうか……』という違和感を小説に昇華させた」のが本書だったと話している。さらには、

「カタをつけるというか、決着をつけようという気持ちは確かにありました。そう考えて作品を書いていくと、今まで(の作品に)出てきた個性が強めのキャラクターたちに助けてもらわないと、ただの救いがない話になっちゃうんです(笑)」

 とも述べているのだが、この言葉にもあるとおり、本作には堂場スポーツ小説を読んできたファンなら思わずニヤリとする人物が数名、いかにも、といった場面で登場する。それが誰と誰でどこに現れるのかをここで明かすのは未読の方々の興を削ぐことになりかねないので、まずは読んでからのお愉しみ、と言うにとどめておく。

 それらの登場人物以外にも、本書とつながりを持つ作品がある。長距離ランナーと元オリンピアンの官僚を主人公にして、アスリートにとってメダルと国家の意味とは何なのか、と問うた『独走』(実業之日本社)がそれだ。二〇一三年に刊行されたこの作品で、オリンピックに対抗するイベントとして設定されている大会が、本書の冒頭にも登場するUG(Ultimate Games)だ。その作中には、アスリートが競技中に独白する次のような一節がある。

2024.08.23(金)
文=西村 章(スポーツジャーナリスト)