とおっしゃった。

 先生はその頃、越後騒動に題材をとった私の本に解説を書いてくださることになっていたから、徳川綱吉のときの騒動なのにと首をかしげた。だが先生が読んでくださっていたのは『地上の星』だった。

 私はそのことをずっと知らなかった。それが先生が急逝されたあと、お嬢さんの涼子さんのご厚意で、先生の仕事場の片付けを手伝わせていただくことになった。

 といっても半日ほど、書棚から溢れたFAXやゲラを揃えて積んだ程度にすぎない。ただそのとき、紙の山の底に大きなクリップで留めた『地上の星』のコピーがあった。

「これ、父の原稿ではないんです。どなたのものか分かりませんか」

 涼子さんが丁寧に差し出された紙の束は書き出しが“第一章”で、題がなかった。

「ああ、私のです」

 二人で同時に噴き出して、それからは時折笑い声を上げて整理をした。

 涼子さんと別れて、私はその紙の束を抱えて家路に就いた。先生、これのことを仰っていたんだなあと涙がこぼれた。

 越後騒動の本の解説は、結局、先生の急な旅立ちで書いていただくことができなかった。だから『地上の星』だけが、直球のアドバイスをいただいた本のように思える。

 文庫化にあたり様々な方から、とりわけ天におられる多くの先生方から御助力を賜りました。深く感謝しています。本当にどうもありがとうございました。


「あとがき」より

地上の星(文春文庫 む 15-3)

定価 825円(税込)
文藝春秋
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2024.08.12(月)