店主の男性が「うちは〇〇先生が亡くなったとき、蔵書の整理をさせていただいたので」と教えてくださったが、私は咄嗟(とっさ)に先生の名が分からず、その後失念してしまった。

 だが背表紙も千切れかかったその本にはたくさんの鉛筆の書き込みがあり、〇〇先生が一生をかけて読まれた気迫に充ち満ちている。ところどころにメモが挟まれ、きっと学会か何かで宿泊されたのだろう、ホテルのドアノブに掛ける二枚の札が栞がわりに使われている。

 そのホテルの名はもう変わってしまったが、今もまだ営業している。先生はレストランのメニュー表も有効利用されていて、裏と余白にびっしりと走り書きが残っている。

 このたび『地上の星』が文庫化されるはこびとなり、単行本に引き続き、村上豊先生の絵を使わせていただけることになった。作家になる前から画集を持っていたほどの大ファンだったから、単行本の表紙を描いてもらえることになったときは夜眠れないほどの感激だった。

 自分の勝手な構想では『地上の星』は島原の乱を書く『天上の星』の前日譚(ぜんじつたん)になるはずだったから、そのときは、いやそのうちに、もしかしたらお目にかかれるかもしれないと淡い希望を持っていた。

 この原稿を書いている今、先生のどんな絵をどなたが表紙に選んでくださるのかは分からない。地上(・・)天上(・・)にならなかったけれども、絵ばかりは天におられる先生からの拝借物だ。素晴らしい絵を使わせてくださることに深く御礼申し上げます。

 そしてもうお一方、この本のことで感謝のほかはないのが葉室麟(はむろりん)先生だ。

 葉室先生は同じ松本清張賞でデビューした先輩作家にあたり、先生が京都に仕事場を構えられた前後からとりわけお世話になってきた。執筆面でもさまざまなアドバイスをくださったので、御目にかかるときはいつもメモを片手に握っていた。

 あれほどお忙しくしておられたのに私の著書まで読んでくださっていて、あるとき、「戦国が舞台なのに、登場人物の名前がニュアンス的に江戸時代になっている」

2024.08.12(月)