その後、『零式戦闘機』(新潮社、一九六八年)や『陸奥爆沈』(同、一九七〇年)など、太平洋戦争のさなかに起きたさまざまな事件・事故に取材した小説を次々と発表。やがて、その対象は、日露戦争下の日本海海戦や、幕末維新期の内戦にさかのぼり、一方また苛酷な環境をくぐりぬけ、過剰なまでに生のエネルギーあふれた人間たちに及んだ。『羆嵐』(同、一九七七年)、『遠い日の戦争』(同、一九七八年)、『破獄』(岩波書店、一九八三年)、『天狗争乱』(朝日新聞社、一九九四年)など、吉村の著作の多くは今でも多くの読者を惹きつけている。

『戦史の証言者たち』は、吉村が戦史小説を書く上で取材した軍人や民間人の証言集である。一九六〇年代はまだ戦争体験者たちが健在であり、その記憶も保たれていた。百本以上に及んだ録音テープのなかから、一部を抜き出してまとめたものである。しかし、こうした取材やインタビューは吉村昭単独でなされたものである。大きな新聞社や出版社がバックについて、その支援のもとになされたわけではない。北海道から沖縄まで証言者たちの所在地におもむき、話を引き出していった。私はその執念と持続力に粛然とせざるをえない。経済的にはパートナーである作家の津村節子が彼を支え続けた。当時、しばしば吉村は親友に「おれはヒモだよ」と自嘲したという。証言者たちも、名前も背景ももたない相手を前にして戦争中の激烈な経験を語った。こうした数々の証言の書かれざる前には、それぞれが聞き手と話し手として立ち上がり、呼吸がととのうまでの長い間合いがあったにちがいない。彼らの警戒をほどき、ときに拒絶を乗りこえて、信頼を得るにいたるやりとりをへて、ようやく閉ざしていた記憶の封印が解かれたのである。

 第I部の「戦艦武蔵の進水」は、『戦艦武蔵』を生み出した証言のひとつである。『戦艦武蔵』は数多くの関係者への取材から成り立っているが、ここに選ばれたのは、巨大な戦艦の進水を指揮したひとりの工作技師である。巨大な船を限られたスペースの港で進水させること自体、困難をきわめるが、まして機密保持のために戦艦の造船やその完成、進水式の日時まですべて隠さなければならない。ガントリークレーンにシュロのスダレをかけ、その上にさらにシートを下げたエピソードがくりかえし語られているが、分からなかったのは長崎市民だけではない。進水の神様と言われた大宮丈七氏みずからも、巨大すぎるがゆえに「ちょうど大きなビルの外壁の近くに立っている」ようで、船全体を見たのは進水後、海上に浮かんだときだったという。わずか二年二ヶ月に終わった巨大な「化けもの」の誕生と消滅のすべてを見届けたものはいない。発案した軍人たち、多くの設計技術者、発注された民間企業の職員、夥しい数の職工、そして乗り込んだ兵士・軍医たちそれぞれが各々の主観を通して、「化けもの」の断片を凝視し、記憶に刻んだ。その細部にこそ生きた歴史が宿っている。

2024.08.11(日)
文=紅野 謙介(日本近代文学研究者)