おりしも天気はにわか雨。古いコンクリートの壁面が雨に濡れて暗く陰り、澱んだ雰囲気が惜しげもなく曇天に放散されていた。しかも、壁面にはびっしりとツタが絡まり、気味が悪いことこの上ない。建物の側面にくっついている外階段は遠目にも赤く錆びつき、玄関脇のプレートに記された「北白川女子寮マンション」の文字はほとんど剝げて消えかかっていた。
荷物を互いの手に提げながら、お母さんと二人、しばし呆然と建物を見上げた。
親元を離れ、こんな魔窟のような場所でひとり暮らすのか――。何だか泣きそうな気分になって、そのままお母さんといっしょに家に帰りたいと本気で思ったが、踏ん張った。
きっとお父さんは悪徳不動産屋に騙されたんだ、と坂を下りていくタクシーのエンジン音が遠ざかるのを聞きながら、一時は絶望感に頭のてっぺんまで浸かった私だったが、その後、前向きな心を取り戻すまでにかかった時間は案外短かった。というのも、おどろおどろしい外観とは裏腹に、こぎれいで掃除の行き届いた建物内部であったり、いつもニコニコと対応してくれる寮監先生(寮母さんのこと)の存在であったり、エントランスでくつろぐ、寮の看板猫であるカワタケとクレタケのキュートさであったり――、右も左もわからぬ京都ニューカマーをあたたかく迎えてくれる、非常に暮らしやすい環境が整っていたからである。
入寮後半年もすると、あれほど怖じ気づいて入り口をくぐったはずのオンボロ寮が、それなりに由緒ある、味わいある「わが住みか」に感じられるようになるのだから、人間の適応力とは不思議である。
不思議と言えば、寮内で用いられる呼称がとにかく独特だった。
当時は「京都にある寮だしなあ」などと勝手に納得していたが、大学卒業後、同じく女子寮で生活した人たちの話を聞く機会に触れるにつれ、どうも普通ではなかったことが徐々に判明した。
2024.07.08(月)