しかし、一人一人の娘にも、ちゃんと「心」はあるのだ。
「婚約者だって、わたしのことをお金で買った玩具としか見ていない。これから十年、二十年、いえ一生、たとえ殴られても、他に妾を囲われても、わたしは何も言わずあの男に頭を垂れ、従わなくてはいけない」
自分をその男に差し出したのは両親なのだから、逃げたとしても帰る場所はない。雪乃の絶望はいかばかりであったことか。
奈緒は、そんな雪乃に対して「きっといいお嫁さんになれる」と言ってしまったのだ。
軽率で無神経なその言葉に、雪乃は何を思っただろう。
今になって、激しい後悔に襲われた。
本当は、奈緒だってずっと鬱屈した思いを抱いていたのに。奈緒もまた、いろいろなものを胸の奥底に押し込めて、「しっかりした良い子」であり続けてきたのに。
自分こそが、彼女の理解者になるべきだった。
「雪乃さん!」
怒鳴るような声量で呼びかけて、奈緒はずかずかと雪乃に近づいていった。後ろで青年とカラスが「待て」と制止したような気がするが、構うものか。
がしっと両手で力強く雪乃の手を取って握りしめる。びくっと動いた細い身体が逃げるように後ろへと下がったが、奈緒は掴んだ手を離さなかった。
「ごめんなさい!」
正面からその顔を見つめると、雪乃はぽかんとした表情で見つめ返してきた。
「ちゃんと話を聞いてあげられなくて。気づいてあげられなくて。ひどいことを言って。ごめんなさい、何度でも謝るわ。──でも!」
奈緒は一瞬も雪乃から目を逸らさず、声を張り上げた。
「でも雪乃さん、まだ何も終わっていないじゃないの! 始まってもいない! ねえ、これから道を変えることだってできるはずよ! わたし、今度こそあなたの力になる! ご両親のところに一緒に行って、きっぱり言い返してやりましょう! 婚約者は、殴られる前にこちらから殴ってやりましょう! 魔物に食べさせるよりも、きっとそのほうがスッキリするわ! やり返してやるのよ、二人で!」
2024.05.18(土)