解散後もずっと怖がっている

――数行で終わっている日もあれば、エッセイのように長く書かれている日もあります。ご自身の心の状態が、文章の長さや温度感にそのまま表れているのかなと感じました。

モモコ 短いときは、今にも泣きそうで書きたくても書けない、という状態でした。解散後の活動について、渡辺さんと何度も個人面談をしていたのですが、辛辣に現実を突きつけられることも多くて……。今振り返れば“愛の鞭(むち)”だったと分かるのですが(笑)、かなり追い込まれていた日もありましたね。

 解散のことは、発表まで両親にも言っていなかったんです。心配をかけたくなかったし、今後どうするかを明確に決められていないのに、胸を張って「解散します!」なんて言う勇気もなくて。でもあるとき、父親に「BiSHがなくなって、私が一人になったら、どのくらいの人が付いてきてくれると思う?」ってさりげなく聞いてみたんですよ。そうしたら、「100分の1くらいでしょ」ってさらっと言われちゃって。表面上はなんともないフリをしたけれど、ショックでしたし、ずどーんって深く心に刺さりましたね。そのときの気持ちも、しっかりノートに書き留めました。

「一体誰に相談したらいいんだろう?」と、気持ちの持って行き場がない状態が続いているときなんかにも、『解散ノート』の存在は拠り所というか、言葉を通じて自分の意志確認をする、自問自答の場所になっていました。このノートには本当にお世話になりましたね(笑)。

――ラストの、解散ライブである東京ドーム公演の記述は圧巻でした。書けることがたくさんあるなかで、あえて書きすぎないように意識されたのかなとも感じました。

モモコ ラストライブのことを書く分量は特に意識しませんでしたが、私個人としてのBiSHの終わりを書こうと思いました。私の見た東京ドームの景色は、5万5000分の1に過ぎません。あの日について滔々(とうとう)と語ろうとか、BiSH全員の気持ちを代弁しようとかは全く思いませんでした。

2024.03.13(水)
文=「別冊文藝春秋」編集部