家に着いたら、すぐに新しいノートを引っ張り出してきて、表紙に「解散ノート」と書きました。何かを考えるまでもなく、ごく自然に「書かなきゃ」と。私はもともと記憶力が悪いので、書かなきゃ忘れるという急き立てられるような気持ちもありました。その日はまず、“解散宣告”を受けてどう思ったのか、生の感情をありのまま書きました。

 

さらけだすことに価値がある

――冒頭、およそ4ページにわたって、解散に対する率直な思いが綴られています。でも読み進めていくうちに、その気持ちには日によって波があったのかなとも思いました。

モモコ 私は心配性なので、BiSHの人気が上り調子であればあるほど、それっていつか下降していくということだよな、と考えていました。メンバー間の雰囲気も悪くなってしまうのではないか、という不安もあった。だから、“解散宣告”を受けたとき、BiSHのことは愛しているけれど、「東京ドームという終わりがあるなら、そこに向かってこのままみんなで楽しくやっていくのもいいのかも」と思いました。その意味で「よかった」と。

 でもライブでお客さんに会ったり、メンバーと何気ない会話をしているときに「ああ解散って寂しいな」と、身体で悲しみを感じるような瞬間もあって、常に揺れ動いていましたね。

 解散発表後は、たくさんのメディアから取材を受けて、「解散と聞いたときにどう思いましたか?」と質問されることも多かったです。でも、正直答えるのがすごく難しかった。「よかった」と言えば、その部分だけ切り取られてしまうかもしれない、そしたら他のメンバーやファンはどう思うんだろう、とか色々考えてしまって。結局定型文のように答えざるを得なくて、本当の気持ちを上手く伝えられたとは思えませんでした。『解散ノート』では、自分の見た景色を自分の言葉で記すことで、「私にとっての解散はこうなんだ!」と皆さんに提示したかったという気持ちもあります。

2024.03.13(水)
文=「別冊文藝春秋」編集部