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 鶴松さんがヒロインのお光を演じている『新版歌祭文 野崎村』が上演されているのは、歌舞伎座における十八世中村勘三郎十三回忌追善「猿若祭二月大歌舞伎」。後篇では鶴松さんの近年の舞台への取り組みに迫ります。

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初役は無我夢中、例外が『鏡獅子』!?

――『野崎村』のお光のスチール写真は今年1月にご逝去された篠山紀信さんの撮影だそうですね。

 一生の記念で本当にありがたく幸せです。先生が「宝物にしてね」とおっしゃってくださったのですが、まさしくそうなりました。

――拝見した瞬間、七之助さんに似ている! と思いました。

 ほんとですか! 自分は七之助さんに対するリスペクトが人一倍強いのでうれしいです。体型とか喉のつくりとかは人それぞれですからどんなに似せようとしても無理な部分がありますが、それすらも越えて七之助さんになりたい、と思っているくらいです。

――いつからそう思うようになったのでしょうか。

 大人になって女方の役をやるようになってからです。七之助さんを見ているとつくっている感がなくてその人物の思いがパーンとストレートに伝わってくるんですが、実際に自分も演じるようになると、それがいかに難しいかがわかります。

――お光のお手本も七之助さんですか?

 はい、実際に七之助さんに習いましたので。もちろん勘九郎さん、それから勘三郎さんの若い頃の映像も拝見しました。やっていることは同じなんですが、やっぱりちょっとした間とか表現の仕方はそれぞれなんです。そのどれも正解で素敵だと思いました。ただ多くを追い求めてしまうとちぐはぐなものになってしまいますから、やはり誰かに寄せないと。

――勘三郎さんの娘役というのは、晩年しかご存じない方は意外に思われるかもしれませんね。

 かもしれないです。勘三郎さんの初役は今の自分とほぼ同じくらいの年齢なんですが、本当に可愛らしくてどこをとってもお光そのもの! なんです。以前はそうした映像を見てもただすごいと思うばかりでしたが、裏ではものすごく稽古なさったんだろうな、というようなことを想像するようになりました。そうやって若い時にいろいろな役をしっかり勉強されたからこそ、その後があるのだということを実感します。

――身近な先輩や偉大な先人がどの役を何歳の時に経験したのかというのは、気になるものですか?

 考えることがだんだん多くなりました。例えばやはり義太夫狂言の娘役である『俊寛』の千鳥や『すし屋』のお里など七之助さんの初役は何歳だったのかなとか。

――初役というのは緊張するのでしょうね。

 皆さんよくおっしゃっていることなんですが、初役の時って無我夢中で気がついたら千穐楽を迎えていた、みたいなことが多いです。それが2回目、3回目になると少し冷静になって自分のことを俯瞰で見られるようになっていく。

――それはどんな役でも同じですか。

 不思議なことに、自主公演の鶴明会で『春興鏡獅子』をさせていただいた時はそうでもなかったんです。舞台の向こう側から観ているもう一人の自分がいる感じでした。今こういう風に見えているだろうから、ここはもうちょっとこうしたほうがいいな、みたいな。

カラオケで黙々とせりふの練習が裏目に

――『鏡獅子』のような大役で、ですか?

 ずっと憧れていた役ですから、現実となるまでにいろいろと考えることが多かったからかもしれません。それから踊りだからという部分も大きいと思います。稽古をすればした分だけ自分に返ってくるものがありますので。

――黙々とひとりで努力できる要素があるのは、アスリートのトレーニングに通じますね。

 はい。ただそれがいい結果につながるとは限らないということも思い知りました。自分は妙に真面目に考えすぎるところがあってそれがコンプレックスなんです。『豊志賀の死』の新吉の時はひとりでカラオケに行ってせりふの稽古していたのですが、それが裏目に出ました。掛け合いのせりふの多い、落語をもとにした芝居ですから相手とのキャッチボールが大切。準備したものを提出するだけではどうにもならない、ということを実感しました。

2024.02.24(土)
文=清水まり
写真=平松市聖(インタビュー)