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 歌舞伎座の十八世中村勘三郎十三回忌追善「猿若祭二月大歌舞伎」で上演中の『新版歌祭文 野崎村』は悲しく切ないラブストーリー。ヒロインのお光を演じているのは28歳の中村鶴松さんです。名作『野崎村』で描かれている恋とはどのようなものなのか、舞台の様子と共に鶴松さんのインタビューをお届けします。

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等身大の恋する女性の可愛らしさ

「歌舞伎座でこのような大きな役をいただき、本当にありがたいです」

 心からの感謝の意を表す鶴松さんですが、その一方で実は少し意外でもあったそうです。

「ピュアでまっすぐな、可愛らしい女性であるお光はとても魅力的な役ですが、特別に好きだとか意識したりするようなことはなかったんです。一番しっくりする言い方をすると“恐れていた役”でしょうか。もし自分が勤めることになったらどうする? みたいな怖さ」

 その理由は?

「心情的にとても苦しい役で、若さ特有のパッションでぶつかれるようなタイプのものではないんです。技術的にも難しく、義太夫狂言としてのせりふ、声の出し方や踊りの基礎を踏まえた身体の使い方が必要とされます。歌舞伎を演じる上で大切なさまざまな要素がたくさんつまっているんです」

 それをいかに自然に演じきることができるかが大きな鍵となります。

 その『野崎村』、実際の舞台はどのような様子なのでしょうか。

 お光が父の久作と暮らしているのはのどかな風景が広がる百姓家。暖簾口から登場するお光は浮き浮きと幸せそうで、大根を刻んでいて思わず指を切ってしまうなど心ここにあらずの態です。というのも許嫁の久松といよいよ祝言を上げることになったから。実に微笑ましい鶴松さんの様子に劇場内は一気に幸せオーラで包まれます。

 そこに突然! 姿を現すのは久松が奉公していた油屋の娘・お染です。実はお染と久松は恋人関係にあり、久松は身に覚えのない金銭問題で疑惑をかけられて養子先の久作の家に戻されていたのでした。

 お光の純朴な可愛らしさに対して、お染は身につけているものもふるまいも都会的に洗練されお嬢様然としたセレブな雰囲気です。見るからに手強いライバル出現に、嫉妬心を隠せないお光の正直な反応はいつの世も変わらない等身大の女性そのもの。客席のあちこちでさまざまな角度から共感のリアクションが見られます。

七之助さんの強い推しとバックアップ

 ふたりの女性から思われる久松を演じているのは七之助さんです。七之助さんはお染とお光とどちらの役も経験していて、鶴松さんの抜擢は実は七之助さんの強い推しがあってのことだったのだそうです。

「さらに久松での出演を買って出てくださったんですから本当にありがたいです。口では『朝(一番最初の上演演目)早いなぁ』とか冗談を言いながら、本当に丁寧に教えてくれています」

 一般家庭から歌舞伎の道に入り勘三郎さんの“部屋子”となった鶴松さんにとって、勘九郎さんと七之助さんは血のつながりはなくとも兄そのもの。

「歌舞伎座で(師であり父と慕う)勘三郎さんの追善だからこそ、できたことだと思いますし、その公演で勘三郎さんゆかりの役でもあるお光を勤めさせていただけるのは感慨深いです」

 鶴松さんがお光を演じていることを「何より喜んでいるのは父ではないでしょうか」と七之助さん。

2024.02.24(土)
文=清水まり
写真=平松市聖(インタビュー)