そういうあなたはどうなのよ?
自分は相手から何か心理的な操作を受けてはいないか、相手の論理の運びはおかしくないか。そうであれば、その心理操作や論理のねじれに名前をつけて言語化することによって、自分の感情や考え、相手の感情や考えが明確化されることもあるのです。このような論理の整理は自分の心を守ってくれる強い鎧の役割を果たしてくれます。
その言語化に役立つかもしれない言葉をいくつか紹介します。
Whataboutism(そういうあなたはどうなのよ?)
日常会話でもネット上の議論でも頻繁に現れる論理のねじれの一つにWhataboutism(ホワットアバウティズム)があります。「そっちこそどうなんだ主義」や「おまえだって論法」と表現されることもあるWhataboutismとは、自分の問題点を指摘されたと感じたときに “What about you?”(そういうあなたはどうなのよ?)、“What about that?”(あれはどうなの?)と相手の欠点などを指摘することで、本来の論点である自身の問題点に関する議論を避けることです。
子どもが「早く寝なさい」と言われて「ママとパパはなんで起きてるの?」と文句を言ったり、部屋が散らかっていることを指摘されて「そういうママはお皿の洗い方が雑」と親の家事についてケチを付け始めたり、「そういうあなたはどうなのよ?」という言葉が飛ぶ光景は家族の会話でもよく見られます。
アメリカでWhataboutismという言葉が主流メディアで使われるようになったのは冷戦中で、旧ソ連で国家を批判したジャーナリストが逮捕されるといった非人道的な政策が西側諸国から非難される度に、旧ソ連が「アメリカでは黒人が殺されているじゃないか」などとアメリカの問題に論点をずらすコメントを出したことがきっかけでした。現実にはアメリカの人種差別も、旧ソ連での言論の規制も問題であるはずなのに、「あなたの国はどうなの?」と相手国の問題を指摘することで、自国の問題を「よし」あるいは「仕方なし」としてしまうねじれた論法、これがWhataboutismです。
また、例えば動物愛護や環境保護のために菜食主義を心掛けている人に対して「動物実験を経て人間に適用された医療は受けるくせに」「飛行機に乗るくせに」と「あれはどうなの? これはどうなの?」と相手の主義主張が100%完璧に実行されていないことを批判するのもWhataboutismです。実際は100%でなくとも動物や環境のために個人個人ができる限りのことを行うのは奨励されるべきことですが、100%ではないことを突いて個人の努力や選択を揶揄して、「菜食主義の意義などない」という錯覚を生じさせるようなWhataboutismもあるのです。
2024.01.12(金)
著者=内田 舞