「母性や父性は一定ではなく、流動的なもの」

――いまお話に挙がった自然との関係性も本作のテーマのひとつです。街中にある“植物カフェ”には衝撃を受けました。植物が光合成して生み出す酸素を吸い、それにお金を払うという……。「こういう発想があったか!」と感じましたが、こうしたアイデアはどのように生まれたのでしょう。

 私の好きな17世紀の哲学者バールーフ・デ・スピノザは、「人間が自然をコントロールしようとすればするほど、自分たちがコントロールされることになる」というように語っており、それが本作の根幹のテーマになりました。そこに妊娠・出産という事象を混ぜ、さらにはAIがいかに人間から様々な可能性を奪ってしまっているかを描きたいと考えていました。

 そのうえで、建築物のデザイン等には「バイオフィリア」(人間は本能的に自然や生命とのつながりを求める)という考え方を反映させました。実際のニューヨークでもそうですが、身近に自然がないのでみんなお金を払って手に入れようとするわけです。つまり自然までが商品化されている形ですね。シアトルにあるAmazon本社には、「The Spheres」と呼ばれるドーム型の建物があります。入館手続きをすればその中に入って自然を体験できるのです。

 本作では、そういった事例を参考にしました。人の近くには本来、本物の自然があるのに、お金を出してフェイクの自然を手に入れようとするなんて変な話ですよね。でも実際にニーズがあるし、企業もそれを売り物にしています。そういったテーマが私は元々好きで、初監督作『COLD SOULS(原題)』(2009)では、魂の売り買いをテーマにしました。それが『ポッド・ジェネレーション』では子宮になったわけです。つまり、魂/子宮はお金と交換できるのか? という問いの追求です。

――批評的な目線でいうと、劇中でステレオタイプな母性と父性が男女で逆転していきますよね。男性(父)が母性を発揮し、女性(母)が父性を獲得していくといったような――。よく言われる「母親に対し、父親は自覚がなかなか芽生えない」状態がレイチェルの身に起こるのが、実に示唆的で秀逸でした。

 自分としても、この逆転は面白いなと思いながら作っていました。アルビーは植物学者ということもあり、ポッドというよりはその中にいる赤ちゃんを見ています。ですがハイテク企業で働いているレイチェルは、赤ちゃんではなくその周りのテクノロジーを見ていて、そうしたズレが母性と父性の逆転につながっていきます。実際、撮影期間中にキウェテルにお子さんが生まれて、1カ月育児休暇を取りました。そして戻ってきたときがちょうど子どもを抱き上げるシーンの撮影で、私が何も言わなくても自然と親心を演じ切ってくれました。

 妊娠・出産はフェミニスト的な観点で語られがちですが、実際は父親も同様に感情的な変化やホルモンがあり、私の夫も子どもが生まれた際には母性的なものが芽生えていました。逆に私は早く仕事に戻りたい気持ちもありましたね(笑)。一般的に「母性」とは女性が持って生まれたものと捉えられがちですが、様々な文化的な背景やその時々の流行によって変わるものです。たとえば18世紀など、子どもが生まれた際には乳母に預けられて、成長したら親元に戻ってくるといった時代があり、様々なサイクルを経て今に至ります。母性や父性は一定ではなく、流動的なものだと思います。

2023.12.01(金)
文=SYO