――お手本になるような教則本が、動画として散らばっているわけですね(笑)。
児島 昔はそういうものがないから、みんな、ダウンタウンに勝ちたいという気持ちだけでやっていました(笑)。それが面白かったし、各芸人さんたちが通ってきた好きなバラエティ番組の素養みたいなものもあった。
昔だったら「倒してやる」だったと思うんですけど、気が付くと「ダウンタウンの横にいる今田さんたちみたいになりたい」という人が出てきて、その次は「ダウンタウンさんの番組に出たい」という人が出てきた。今は、「ダウンタウンさんに会えればいい」って話す若い子もいます。
目標がだんだん下がっていっているのを見ると、個人的には残念に思っちゃいます。「え? 目標がひな壇なの?」みたいな。「冠番組を持ちたい!」って言ってほしいじゃないですか、自分のライブに出ている芸人には。
――たしかに(笑)。M-1きっかけでお笑いを夢見た若手がいる一方で、その呪縛に苦しんだ実力派の中堅芸人たちもたくさんいたと思います。
児島 M-1で結果を出せばテレビに出られる――ではないですが、取捨がすごく早い時代だと思うんですね。実力があるのになかなか報われない芸人さんも多くて、閉塞感が漂っていた時期もありました。そんな中、磁石の永沢(たかし)さんが、「このままじゃいけない。何とかしよう」って他の芸人さんたちに発破をかけて動き出したのが、AKB48の芸人版として発足した「FKD48(吹きだまり48)」でした。
永沢さんってお笑いの勘が働く、頭が良くてアツい方なんです。周りの芸人が腐り始めていることを察知してFKD48の構想を練ってくれました。またコロナ禍のなか、私たちがライブができず大打撃を被ったときには、「K-PROへの支援金を募る窓口を勝手にやっていいですか?」と連絡をくれて、SNSで呼びかけてくれたり。
彼らの世代ってテレビ界を変えるくらいの面白さを持っていると思っているし、私は今もそのパワーがあると思っています。来年はK-PROが20周年を迎えるので、私たちを支えてくれたその世代の芸人さんたちが一堂に会するようなイベントができたらなって思っています(笑)。
2023.10.13(金)
文=我妻弘崇