「トランス状態でしたね。動きキレキレでした」M-1敗者復活戦で“無名のコンビ”が大爆笑を起こし…“笑いの神”が降臨したかのような3分間 から続く

 いまや年末の風物詩である「M-1グランプリ」。一夜にして富と人気を手にすることができるこのビッグイベントに、「ちゃっちゃっと優勝して、天下を獲ったるわい」と乗り込んだコンビがいる。2002年から9年連続で決勝に進出し、「ミスターM-1」「M-1の申し子」と呼ばれた笑い飯である。

 ここでは、笑い飯、千鳥、フットボールアワーなどの現役芸人やスタッフの証言をもとに、漫才とM-1の20年を活写した中村計氏のノンフィクション『笑い神 M-1、その純情と狂気』(文藝春秋)から一部を抜粋。「M-1の申し子」と呼ばれた笑い飯と、ダウンタウンの後継者とさえ言われる千鳥の出会いを紹介する。(全4回の3回目/4回目に続く

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千鳥の大悟と笑い飯の出会い

 大悟と笑い飯が出会ったのは、西武ライオンズのスーパールーキー・松坂大輔の衝撃的なデビューと、石原慎太郎の都知事選勝利に世間の耳目が集まっていた頃のことだ。岡山県内の商業高校を卒業した大悟は、芸人を志し、NSC大阪(吉本の芸人養成所)を受験したものの不合格。知人の紹介で、大阪・難波を拠点にするインディーズライブの団体に流れ着く。

 インディーズとは、個人運営に近い小規模団体のことである。事務所に所属していない芸人、あるいは事務所に所属しているが出番が少ない芸人らが集まる場所、言ってみれば、業界の「底」だった。

 そのグループには、20組前後の芸人たちが出入りしていた。その中に笑い飯を結成する以前の哲夫と、西田がいた。哲夫は「スキップ」、西田は「たちくらみ」というコンビをそれぞれ別の人と組んでいた。大悟が思い出す。

「西田さんは今より髪が長くて、黄色い丸眼鏡をかけていた。哲夫さんも、なんか……とにかく変。ダサいんですよ。2人とも年が5つくらい上だったんで、ああいう大人にはならんとこうと思ったのが最初の印象っすね」

2022.12.13(火)
文=中村 計