試合中には幾度も「猪木―アリ状態」が出現した。寝た猪木と立ったアリが対峙するという見慣れぬ状態を観客は退屈とみなしてブーイングを浴びせ、メディアは膠着だと酷評した。だがボクの目の前では、「猪木―アリ状態」のホイスと桜庭が東京ドームを興奮のるつぼに叩き込んでいるのだ。1976年から綿々と流れる総合格闘技の変遷、MMAの技術の向上、そこへ挑み続けた選手たちの試行錯誤の姿が頭の中に次々に浮かび、想い出が波のように押し寄せてきた。

 本書を読めば、あの歴史的な試合の興奮を追体験できるだろう。

 2000年代のPRIDEは格闘技の中心地である日本に、世界中から最強の戦士を集め、世界に向けて発信するという世界最高のプロモーションであった。

 そして、このPRIDEという異種格闘技戦の源流、大河の一滴となったのはあの日のアントニオ猪木であり、過渡期のバトンを繋いだのが在りし日のUWFの戦士たちだ。

 プロレスのリングでリアルファイトを望んだアントニオ猪木。リアルファイトのリングで観客に向けてのプロレスを提供した桜庭和志。ともに時代を超えリスペクトされる勇者であるのは間違いない。

 2023年、54歳を迎えた桜庭和志は、今も現役のプロレスラーとして戦っている。

 本書でも紹介された桜庭が考案した寝技イベントのグラップリング大会「QUINTET」は、今年9月に5年ぶりに開催が決まり、桜庭の長男の出場が発表された。大会のスーパーバイザーに就任したのは前田日明だった。

 日本のプロレス格闘技は旧世代から新世代へと確実に受け継がれていく。

 2022年10月1日、アントニオ猪木の訃報が世界を巡った。

 柳澤健が書き綴った三部作には「アントニオ猪木」というモチーフとテーマが鎮魂歌のように繰り返されている。

 時代を経て書物で追体験する読者にとって、猪木の残した膨大な功績のなかのひとつは「2007年の柳澤健」というノンフィクション・ライターを生み出したことだ。

2000年の桜庭和志

定価 1,155円(税込)
文藝春秋
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2023.10.05(木)
文=水道橋博士(漫才師)