だが、タイトルは個人名ではなく団体名のUWF。UWFの中心人物は前田日明だが、著者はUWF関係者のなかで前田にだけはあえて話を聞かないまま、この作品を完成させた。もちろん雑誌連載時から論議を呼んだのは言うまでもない。著者曰く、「UWF史は今までに前田が語ってきた前田史観で確立してきたから、そこは避けて描く」と。この人物ルポライティングの手法は、かつてゲイ・タリーズが描いたフランク・シナトラやデイヴィッド・ハルバースタムが描いたマイケル・ジョーダンなどニュージャーナリズムのジャンルを切り開いてきた成功例はあるのだが……。前田は無類の読書家として知られ、強烈なエゴイズムと誇り高きダンディズムが共存する名うての論客だ。かつて沢木耕太郎、村松友視をこき下ろした過去もあるだけに著者のその大胆不敵さに驚いた(ちなみにボクは前田の兵隊〈マニア〉なのでこの作品は、私見では反前田史観過ぎるところがあるのも前田の名誉のためにあえて付記しておきたい)。
『1984年のUWF』は「プロレスは最強の格闘技である」との教義を最初に猪木に授けたプロレスの神様・カール・ゴッチの逸話から始まる。このゴッチ直伝の猪木イズムに最も影響を受けたのは佐山聡だった。結論として、佐山聡は猪木を越えるプロレスの天才であり、そして格闘家としても日本の総合格闘技のプロ化の先端を走っていた。ただし、長年に渡って正当な評価を得ることはなかったのだが……。
1981年に新日本プロレスに登場したタイガーマスク(佐山聡)は、たちまち4次元殺法で日本中を熱狂させたが、わずか2年4カ月で引退。その佐山がスーパータイガーとして復帰したリングこそが旗揚げ間もない「1984年のUWF」=「第一次UWF」であった。若き前田日明をエースとする猪木の使徒(弟子)たちが旗揚げした新団体は教祖・猪木に「捨てられて」迷走していたが、佐山が考え出した脱プロレスの先鋭的なルール、格闘技を重視した過激なスタイルによって一部に熱狂的なファンを生んだ。だがまもなく、すでにシューティング(のちの修斗)を構想してプロレスの完全格闘技化を目指す佐山と、選手およびスタッフの生活、団体の運営を最優先する前田との対立がリング上でも表面化する。やがて佐山が団体離脱すると、資金繰りに行き詰まり一度は母体・新日本に吸収されたものの、1988年、再び新生UWFとして旗揚げし、格闘プロレスを謳って一躍大ブームを作り出す。ところが1991年、人気絶頂時に団体は内部分裂、三派に分かれて歩むことになる。U系団体はそれぞれに「最強」を標榜した。だが1993年にUFC、K−1、パンクラスが誕生したことでマット界全域の相転移が起こり、フェイズは一気に変わった。「最強」の最前線にブラジルのグレイシー柔術が名乗りを上げると、猪木の使徒たちは実力の証明を迫られる。髙田延彦vsヒクソン戦のためPRIDEが誕生、やがてMMA(総合格闘技)=真剣勝負が隆盛を誇るようになる。猪木の直弟子である髙田がヒクソンに連敗、船木誠勝もヒクソンに敗れた。プロレスラーは次々と格闘技の生贄となったのだが、世界の格闘技シーンをリードし、興行の人気を支え続けたのが日本のプロレスラーであることも紛れもない事実であった。やがてプロレスを引退した、アントニオ猪木も髙田延彦も前田日明も総合格闘技団体のアイコンとなり、リング上の要職をつとめるようになる。
2023.10.05(木)
文=水道橋博士(漫才師)