この前提のなか、ルスカ戦を除く1976年の3試合だけが、長い猪木の現役生活のなかでリアルファイトであったと著者は断言する――。

『1976年のアントニオ猪木』は、村松友視の著書『私、プロレスの味方です』(1980)という始発駅から旅立ち、井上義啓編集長の『週刊ファイト』、ターザン山本編集長の『週刊プロレス』と乗り継いで「活字プロレス」という巨大な幻想空間の中を、車窓に聳え立つ猪木山脈、いや蜃気楼を追い続けた昭和のプロレス者にとっては因果鉄道の終着駅でもあった。

 中央公論社で文学誌の編集者であり、後の直木賞作家となる村松友視が文藝の香り漂う演劇論的手法で、その虚像の輪郭を作った猪木という名のイリュージョン。その幻想をライターのキャリアの初期に『ぱふ』という雑誌名のファンタジーの匂い漂うマンガ批評誌の編集者であった柳澤健が『ナンバー』編集部に転じ、調査報道に徹し、地を這う取材を経てルポライティングという手法で幻想の実像を検証してみせたのだ。

 それは「底が丸見えの底なし沼」「虚実の被膜」「闘いのメビウスの輪」などなど……修辞を練り尽くし、メタファーを駆使して、勝負論だけは曖昧模糊にしてきた活字プロレスの向こう側だった。

 最強は短い、人生は長い――。裸一貫で世界を渡り歩き、現役を退いても虚像も実像も世間に晒して、あらゆる毀誉褒貶に受け身を取り、リアルもフェイクも織り交ぜながら人生の力比べを続けるプロレスラーの儚さ、そして強さに我々は惹きつけられるのだ。

 単行本出版後、文庫版の『完本 1976年のアントニオ猪木』(2009)では、ボーナストラックとして猪木本人が著者のインタビューに応じている。猪木は単行本執筆時には取材依頼を受けることはなかったのだが……。

 さて、百戦錬磨のプロレスラーは気鋭のルポライターにどう対峙したのだろうか――。

 その後、ボクは著者と面識を得たが、会うたびに「次回作には前田日明を!」というリクエストをぶつけたから、2017年に刊行された『1984年のUWF』は、ボクにとって待望久しい作品だった。

2023.10.05(木)
文=水道橋博士(漫才師)