もう、ぜんっぜん杞憂でした。
「恋」をしてみたいとすら、思ってしまいました。
私の場合、恋の記憶をさかのぼっていくと、10代、20代までさかのぼらないといけないのですが、その頃の恋はスペース・マウンテンで、40代の恋はビッグ・サンダーマウンテンだなと。
真っ暗な空間を高速で突き進む乗り物に乗せられて、そのコースの全貌も見渡すことができないまま、どこで曲がるかも、どこで上がって下がるのかもすべて乗り物次第という感じで、嵐のような体験はいつの間にか終わっていて、残されるのは抜け殻の私……。
それが、明るい場所で、レールの全貌も見渡すことができて、アップダウンを楽しんで、周囲の景色やディテールを楽しんで、なんなら記念撮影すべきスポットや、どこで手を広げて「ひゅー!」とやるか、くらいまでわかっちゃってる。コースの終わりも見えているから、「あ、そろそろ終わりそう…終点」もわかっちゃう。
どっちがいいとか、どっちが楽しいとか、つまらないとかではなくて、このくらいの距離感で恋愛を暮らしに取り入れられるヒトミさんが、最高にかっこいいなと思ったんです。ヒトミさん、作中では男性との距離の取り方だけでなく、同僚への目線もすごく良くて、弟子入りしたいくらい…。
40代になっても、まだまだ人との付き合い方を模索している私には、そんなヒトミさんの暮らしが眩しく愛おしく映りました。
昔は恋愛って「白米」だったんですよね……。
ないと死ぬ。食べないと死ぬ。一番の栄養源で、自分を動かすもので、食べないと死ぬ!とまで思っていたような節があるけど、ここで描かれる「白米」は、まず「生活」。仕事をして、両親がいて、友人がいて、お付き合いがあって、四季が移り変わって…という、暮らし。
恋愛は、「ごはんのとも」くらいの塩梅で、その塩梅がちょうどいいのなんのって…。いや、都合よく存在してほしいだなんて言いませんが、このくらいがいいなぁと、つくづく思います。恋愛のために、嫉妬したりされたり喧嘩したり、なんやら負のエネルギーを増幅させるような行為がそもそも、もう、面倒くさい……(本音)。
40代ともなると、それなりに仕事の責任やら親やら子どもの世話やら、お金やら健康やら、「死ぬこと」を意識し始めたり、あと●年で死ぬとしたら…という妄想をすることだってあるし、私の暮らしの円グラフはもうそれだけでいっぱいいっぱいなので、その円グラフ崩してまで「恋愛」を入れようってなかなかならないんですよね。
この円グラフが崩れない「ヒトミさんの恋」が、とても良かったです。
というか、私が恋愛をしていなかった期間に、もしかして世の中の恋愛観って、アップデートしてた?今はこれがスタンダードだったりする?
人と人との距離の取り方も変わってきているし、昔はこれが良しとされていたけど、今はこうしたほうがいいねってことも多くあるじゃないですか。ヒトミさんの恋も、「40代だから」じゃなくて、もしかして「令和の主流」になりつつある…?
「不惑」という境地にはなかなか達しない毎日ですが、このくらい「不惑」な恋愛を楽しんでみたいもんだ。
恋に恋する から
恋に恋する 自分を慈しむ ような。
冷蔵庫にプリンがあるちょっとした無敵状態、みたいな。
恋愛のことだけではなく、描かれている暮らしそのものに、すごく共感しました。
ヒトミさんを通してみる世界は、ちょっとした暮らしを楽しむポイント。
見るべきところ。
私が見落としていたところ。
いつもスマホ片手に歩いている道を、スマホを持たずに歩いてみる。というような経験に似ているかも知れません。益田さんのデトックス効果は、本当にすごい。やはり定期的に益田作品を読んで、心のおりを溶かしておかなければ!
そう強く実感した、「ヒトミさんの恋」読書レポでした。
(ホンフルエンサー 本間悠さん)
2023.09.08(金)