〈お岩さまにあこがれて…古典ネタに取り憑かれた怪談師・牛抱せん夏が語る子どもからお年寄りまで楽しめる“伝統芸能”としての怪談の魅力とは〉から続く
ああ……雨が降ってきましたね。亡くなられた方は“肉体がなくなった”ことに気づいていませんから、雨宿りをしに室内へ入ってくる。怪談にふさわしい日和ですね。
私はふだん京都の光照山蓮久寺で住職をしておりまして、今日(2023年7月8日)は岐阜・高山に「怪談説法」をしに参りました。23歳の時、お寺の存続を危ぶんで「若者に仏教を知ってもらおう」と始めたものです。
次男坊として生まれたので継ぐべきお寺がなく、当時は大きなお寺さんに勤めていました。早朝から夜まで仕事が詰まっておりますから、自由に動けるのは深夜しかありません。それで夜遅く、誰かにお説法できないかと歩き回っておりましたら、公園で暴走族の集会に出くわしたのです。特攻服に「天上天下唯我独尊」と刺繍が入っていたのを見て、「おお!お釈迦さまが生まれて初めて発した言葉じゃないか」と。
「君たちが背負っている言葉の由来なんだけどね……」と声をかけたものの、「うるさい、帰ってくれ」とまるで取り合ってくれない(笑)。どうにか興味を引こうと「じゃあ、怖い話を聴かへんか」と訊ねてみたのです。すると「お坊さんの体験した怖い話なんか、絶対ピカイチやんか!」と食いついてくれた。そこで話したのが“病気の臭い”の話です。
暴走族の少年が明かした「お化けみたいな」生まれ育ち
私は小さい頃から鼻が敏感でして「あ、この人は数日後に高熱が出るな」というのがすぐにわかる。なんとも名状しがたい臭気なのですが、病気によって濃度や色合いが異なりまして。ある時に本屋に行きましたら、それはもう強い末期がんの臭いがしましてね。臭いのもとである男性に心配して話しかけたら、「声かけてもらって嬉しい」とすごく喜んでくださった。そして「実は私、去年死んでるんです」と、ふっ……、と消えたのです。
2023.08.26(土)
文=「週刊文春」編集部