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この『盲剣楼奇譚』は〈吉敷シリーズ〉二〇年振りの長篇ミステリだ。
一匹狼の刑事、吉敷竹史が主役の〈吉敷シリーズ〉は、天才にして奇人、御手洗潔が主役の〈御手洗シリーズ〉と並び立つ、島田荘司の二大看板だ。
ところが全国七紙に順次掲載された新聞連載版〈盲剣楼奇譚〉は、美剣士・山縣が主人公の剣豪活劇小説だったから、吉敷の活躍を期待した長年のファン、リアルタイムの新聞読者は驚倒した。
この新聞連載は、本書の挿話「疾風無双剣」に相当するが、特徴がふたつある。
ひとつは物語としての“結構”だ。
この剣豪譚は単体の物語として綺麗に完結していて――と書くと、挿話の完結は当然では、の疑義があろうが、これは島田作品においては異例なのである。最新作『ローズマリーのあまき香り』でも同様だが、島田長篇の挿話は、何の前触れもなく“突然の終焉”を迎えることが多い。
もうひとつの特徴は“分量”だ。
過去作品で最も挿話の比率が大きいのは「長い前奏」が約半分を占める『アトポス』だが、実は〈エリザベート・バートリ〉の挿話は「長い前奏」の半分ほどで、つまり作品全体においては1/4ほどである。しかし「疾風無双剣」は本書の2/3を占めていて、つまり挿話のほうがボリュームがあるという逆転現象が発生している。
分量で驚くべきは解決篇に相当する「金沢へ」も同様で、なんとこれは作品全体のたった5パーセント未満である。文庫上下巻で七〇〇ページ超の『アルカトラズ幻想』の解決篇はラスト五〇ページほどで、こちらは大胆にも解決の直前に新たな謎が登場するから誇張ぬきで卒倒しかけたが、本書においても単行本で読んだとき「あと二〇ページで本当に解決するのか」と本気で困惑をした。
この“解決篇の異常な短さ”は後述するとして、挿話の“長大化”と“物語としてのまとまりのよさ”は新聞連載ゆえだが、わたしはここに、本格ミステリが構造的に抱える欠陥への問題意識を見てしまう。
2023.08.29(火)
文=山岸 塁(マジシャン)