初期作品、パズラー色の強い『占星術殺人事件』『斜め屋敷の犯罪』「数字錠」「ある騎士の物語」などにおいてさえ、犯人の心情を丁寧に描いていることが象徴するように、

 “心ある人間として犯人を描きたい”

 という首尾一貫した執着が、島田荘司には明確に存在する。

 これは連城三紀彦も同様だが、島田荘司の筆力は、しばしば“豪腕”の一言でさしたる説明や分析もされずに済まされてしまうが、その正体とは、人間の欲求のなかでも最も強烈なものである執着を描くことに対する、作者本人の執着なのだ。

 “犯人のアイデンティティと怪人としての容姿が不可分である”

 これこそが、島田作品の怪人における唯一無二の特徴だ。

 ほとんどの変装には恣意性がある。正体を隠すことができれば、外見はなんであってもよいのだから。しかし、島田作品の怪人には、その容姿でなければならないその人物固有の切実な理由が存在する。

 つまり、島田作品の怪人とは、犯人のアイデンティティを描くための“装置”なのだ。

 島田作品の解決篇が異常なまでに短いのは、真相をたった一言で説明できるためだ。

 では、何故、そのシンプルな真相を我々は看破できないのか――

 それは“トリヴィア”だからだ。

 トリヴィアとは、一般的には“雑学的な事柄や豆知識”だが、本稿では“特殊知識”の意味で使用させてほしい。

 島田作品における最たる例として、長篇は『ロシア幽霊軍艦事件』、短篇は「糸ノコとジグザグ」を挙げておくが、そもそも『占星術殺人事件』のメイントリックが実在した詐欺事件のそれを別の物品に応用したものだったように、島田荘司のトリック発想の根幹には、トリヴィアへの指向性がある。

 ある本格作家志望のマジシャンは、ぼくにこのように言った。マジックは本格ではない、精神はホラーに近いものです――。

エイドリアン・マッキンティ『アイル・ビー・ゴーン』島田荘司解説より

 右記引用中の“マジシャン”とは実はわたしなのだが、観客におけるマジックの価値とはトリックではなく、そのトリックによって作られる不思議にある。

 マジックやホラーと異なり、ミステリには解決篇が存在するが、エドガー・アラン・ポー「モルグ街の殺人」の真相もまたトリヴィアだと考えるならば、“トリヴィアによる新たなる謎の創出”こそが、本格ミステリの根源的価値だと言える。

 本書は、特殊知識(トリヴィア)による新たなる謎としての怪人(ファントム)を創出し、のみならず、この〈トリヴィアル・ファントム〉を心ある人間として描くために挿話を極限まで肥大化させ、そして、たった一言で説明できる真相によってもまた犯人の執着とも呼ぶべき憐憫と慈愛を描いた、どこまでも島田荘司らしい作品なのである。

2023.08.29(火)
文=山岸 塁(マジシャン)