神奈川県下には重鎮的な製麺所が多い。過去に神奈川県足柄上郡中井町田中にある「(有)金子製麺」、横浜市中区本郷町にある「(有)満寿屋」、川崎市多摩区菅馬場にある「星川製麺」などを取材した。

 今回は長年の宿題であった、昭和8(1933)年創業の老舗製麺所で、横須賀市船越町にある「(有)船食製麺」が経営する食堂「めん処船食」を取材することができた。

 関東地方に梅雨明け宣言が出た7月22日土曜日、さっそく訪問することにした。過去に数回訪問しているが、今回は実に6年ぶり。

京急田浦駅から徒歩5分ほど

 横浜駅から京急線快特に乗り、金沢八景で普通に乗り換え、2つ目の京急田浦駅に降り立つ。眩しく青い夏の空が駅の上に広がっていた。階段を下りて改札出てすぐを右に進み、広い横須賀街道の船越町交差点を渡り、そのまま直進していく。5分ほどでセブンイレブンのある路地を右折すると、すぐ右手に「めん処船食」が現れる。「麺ひとすじ」「創業昭和8年」の文字が躍る。

店は広く食事コーナーと麺販売コーナー

 店舗は右側が20人以上は収容できる食事コーナー、左が麺販売コーナー。朝6時15分から営業している。到着したのは午前10時半過ぎ。すでに数名のお客さんが食事中で、厨房ではベテランのお姐さんたちが注文をテキパキとこなしている。

「めん処船食」で製麺販売や食堂運営などの仕事を取りまとめている網倉あきこさん(以下、網倉女将)が笑顔で迎えてくれた。まず店の歴史などをさっそく聞いてみることにした。

先々代が開業した「船越食堂」が人気に

 網倉家はもともと山梨県の出身。親戚などを頼りに先々代(祖父)が横須賀船越町に来て、昭和8年に「船越食堂」を開業した。山梨ではうどんなどの製麺技術を身に付けていたため、食堂に製麺コーナーを設け、自家製のうどん・そばを提供して人気を博したという。

 

 当時、横須賀港は日本海軍の中心地で、軍需産業や製造工業も発達していた。また、大陸などから小麦やそばが大量に入って来たのだろう。今でも横須賀一帯にはうどん・そば屋が多い。そんな背景から「船越食堂」は労働者の拠り所となっていた。当時から「船食(フナショク)」と愛称で呼ばれるようになり、それが正式名に採用されることになったという。

2023.08.20(日)
文=坂崎仁紀