もちろん、一般の方が歴史上の人物に肩入れをするといった楽しみ方は大いにあってよいと思う。逆に、とんでもないやつだと嫌いになることもあるだろう。そして研究者だって歴史好きのひとりなのだから、個人的に研究対象に好悪の印象を持つことは構わない。だが、それが学問をするうえで表に出てくるのは違うだろう。

「歴史的人間」としての信長

 信長が室町幕府最後の将軍だった足利義昭(よしあき)を追放した結果、一五七三年に室町幕府が滅亡した。それは歴史上の事件には違いないが、それ以前から義昭は完全に死に体であったから、実態としては義昭の追放に大した意味はない。

 天下人は足利義昭であったから、ここが歴史の分水嶺(ぶんすいれい)であったと主張している研究者もいるが、やはり実態を見なければならない。実態と形式は大きく違っているからだ。実態という意味では、誰が見ても義昭の幕府は信長の傀儡(かいらい)政権である。その政権が倒れても、形だけの変化でしかないと考えるのが妥当だ。

 こうした考え方は、日本史研究の随所に見られる。

 第二章で詳しく述べるが、たとえば律令国家のあり方をどう捉えるか。成文法としての律令があったことは事実だが、そこに書かれていた通りの現実が本当にあったのか。律令という形式と実態に齟齬(そご)があるとしたら、そちらを明らかにすることが歴史学の果たすべき役割である。

 そのために必要なのが、時代を超えて歴史を見る視点である。

 太平洋戦争のころ、八紘一宇(はっこういちう)(世界は一家であるという大日本帝国が掲げたスローガン)や大東亜共栄圏などという言葉で戦争の正当化が主張されたが、いずれも言葉だけで実態などなかった。

 五族(日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人)が協和し、東アジアの国々がともに栄えると口では言っているが、実際の盟主というか支配国が日本であったことは自明で、それを字義通り受け取る人は現代では多くはないだろう。

2023.08.03(木)