本書では、信長を「歴史的人間」と捉えて考察を進める。「歴史的人間」とは何かについての詳しい説明は終章でするが、先に述べたように「社会の要請に応えた歴史上の人物」ということだ。
信長がどういう時代の裂け目に、あるいは変化の狭間(はざま)にあり、どういう行動を起こしたことによって時代の変化がその姿を現したのかを見ていきたい。そのために、信長の行動を、宗教や土地、軍事や国家、社会などの構造から捉えることによって、歴史と人間の因果関係を明らかにしていく。
その意味で、本書は信長についての本でありながら、信長の事跡を細かく追いかけたものにはなっていない。ともすれば、信長が全然出てこないではないかというお𠮟りを受けるかもしれないが、私の興味は信長の一挙手一投足ではなく、もっと広い時代の流れの中での信長像を描くことにある。
すなわち、信長の伝記のようなものを読みたい読者の期待には応えられないが、日本史における信長という人物の持つ意味、本書の言葉で言えば歴史の構造を知りたい方の関心に沿うものになるはずである。
歴史の構造をきちんと把握すれば、英雄である信長でなくても誰かが社会的な要請を体現していたこと、なかでも信長は要請を体現する戦国大名として、もっとも効果的に振る舞うことができた人物だったことが浮き彫りになるだろう。
また、終章では明治以後の日本史学を振り返り、私が考える構造から脱構築へと至る歴史学の新たなスキームについて素描してみた。本書の第一章から第五章までの議論は、信長という歴史的人間を題材に、その新たなスキームを念頭に叙述した試みである。
(「序」より)
2023.08.03(木)