しかし、実態を見ていく努力を続けていかないと、たとえば百年後、二百年後に八紘一宇や大東亜共栄圏は素晴らしい理念であった、さらにはあの戦争はまちがいではなかったということになってしまいかねない。
話を戻すと、「信長は普通の戦国大名であった」と主張する研究者に対して問いたいことは至極シンプルである。「もし信長が普通の戦国大名であったならば、なぜ信長の出現によって戦国時代が終わりを告げたのか」ということだ。この問いにどう答えるのか。
信長が普通の戦国大名ならば、戦国時代は続いていたはずだ。にもかかわらず、終焉(しゅうえん)を迎えたとすれば、その理由を提示する必要がある。そうでなければ「たまたまそうなった」「それが成り行きだった」としか答えようがないではないか。それで、歴史学が成り立つのか。
信長の革新性を褒(ほ)め称(たた)え、英雄として祭り上げるつもりは全くない。しかし、信長が特別な戦国大名であり、信長の働きかけがあったからこそ戦国時代は終わったのであり、歴史学はそのことを説明しなければならない。
矛盾したことを言っているようだが、要はこういうことだ。
卓越した信長の個性が時代を作ったと考えるのではなく、戦国時代に生きた人たちが欲していたことに信長が応えたからこそ、時代を転換することができたのだ。信長を生み出したのは、他ならぬ戦国の世に生きた人々だったのである。
もちろん、これは構造的な意味であり、信長が本当に民の声に耳を傾けて民主的に振る舞ったということでないのは言うまでもない。
後に江戸幕府となっていく、ひとつの大きな権力が準備される過程で、信長という存在が生まれてきた。そうだとすると、信長がどういう社会的な要請を受け、その要請にどう応えたのかという点こそを、明らかにすべきである。
なぜ、いま信長なのか。それは、最近の信長研究に強い危惧を覚えるからであり、また、私の考える歴史の捉え方を提示するのに、信長という題材が最適だからである。
2023.08.03(木)