『信長の正体』(本郷 和人)
『信長の正体』(本郷 和人)

 信長は革新的な人物か、普通の大名か

「歴史上の人間で好きな人物を三人挙げよ」というと、幕末の志士であった坂本龍馬とともにランクインする確率が非常に高いのが織田信長である。

 このように信長人気が高まったのは、実はそれほど昔からではない。もともとはその残虐性によって、戦国武将の中でもさほど人気があるとは言えなかった。それが幕末から明治時代にかけて、信長は勤王家、つまり朝廷の復活に功あった人という位置づけで高く評価されるようになった。たとえば明治三年には信長を祭神とする建勲(たけいさお)神社が建てられ、同十三年に京都の船岡山に遷座して現在に至っている。さらに戦後になると一変して、信長は天皇制すら否定し、中世を終わらせた革命家、すなわち異端のヒーローとして扱われるようになったのだ。

 それに対して、信長をヒーローとして扱うことに反対する意見が、歴史研究者や歴史愛好家を中心に生まれてくる。唯物史観的な研究の視点から見れば、「ひとりの人間が歴史を変えることなどない。信長を高く評価するのは英雄史観である」として、信長のヒーロー視に警鐘を鳴らす。

 これとは別に、「信長は普通の戦国大名にすぎず、さほどの革新性はない」と主張している人たちもいる。その多くは武家の行動への評価が低い人たちである。日本の都はずっと京都で、王といえば天皇で、法としては律令がある……。そういうふうに歴史のダイナミズムを強調しないのだ。私には、彼らの台頭は、変化を好まぬ昨今の政治・経済情勢と密接に関係しているように思える。信長の評価はその時の社会状況に大きく左右されているのではないだろうか。

 信長が武田信玄や上杉謙信、今川義元ら他の戦国大名と大差ないと主張する研究者たちが提示する事例に、楽市楽座の開設や関所の撤廃などの経済政策がある。これらは、かつては信長による新しい政策と考えられ、教科書にもそう記されてきた。しかし、実際には他の戦国大名が信長に先んじて実施していることがわかり、史料でも裏づけられている。楽市楽座や関所の撤廃などが信長のオリジナルではないのだから、信長が他の戦国大名と違って経済政策に通暁(つうぎょう)していたとは言えないという話になるわけだ。

2023.08.03(木)