おしゃべりはダンスのようなもの

安堂 長編の小説でもおしゃべりのシーンが多く出てきますよね。おしゃべりのバイブスみたいなものが、特にエッセイだと凝縮されているような気がして。やっぱり人間におしゃべりって必要だと思いますか?

川上 うん、もちろん、すごく大切だと思う。わたしはzoom飲み会って結局、やらずじまいだったんだけど、したことがある人から「あれは会話じゃなくて、一方通行だったような気がする」って聞いて。会議とかには適したツールだと思うんだけど、やっぱりおしゃべりは直接会ってしたほうがいいよね。祝祭感が、ズームにはないからなあ。

安堂 情報の交換ではなく、感情の交換がありますよね。

川上 そうですね、表情のちょっとした変化とか、間合いとか。わたしは出身が大阪なんです。大阪の人って頷きもおしゃべりに入ってる気がするんです。小説『夏物語』でもそうした描写を書いたんですけど、3人くらいでおしゃべりしていると、みんな、人の話の半分から後ろを聞いてないんだよね。

 例えば、そこにいる誰かが、ちょっと躍動感のある面白い話をしたとするじゃないですか。他の人は「わかるわかる」とか言いながら、じつはそれを超えるエピソードを頭の中で探していて、その人の話が終わるか終わらないかの絶妙な引き際で、自分の話を被せて笑わせんの。それが、えんえんループで繰り返されて(笑)。

安堂 バトル感がありますね。ダンスみたい。

川上 ほんま、大阪の人が3人寄ってするときの会話って、言われてみれば確かにダンスに近いかも。あとみんな、どっかで聞いてきたことがちょっとおもろいな、と思ったらアレンジも加えてだいたい何割か増しで誰かにしゃべるところがある(笑)。でもそれは、その場を面白くしたいという一心からなされる、なんていうか、サービス心でもあるねんけどな。

安堂 (笑)。

川上 おしゃべりの文化で育っているから、たぶんわたしのエッセイや小説は、おしゃべりがコアになっているんだと思う。ドストエフスキーとかも、おしゃべりすぎるほど、おしゃべりですよね。彼の作品を関西弁で翻訳したらどうなるんやろうか。さすがにちょっと合わへんのか……。

安堂 読んでみたいです。川上さんが、おしゃべりを書くにあたって、影響を受けた人はいますか?

川上 大阪弁の流れでいうと、そこで書かれる人々の感情も含めて、町田康さんのお書きになるものがすごく好きです。大阪弁のネイティブであれば、大阪弁のリズムや弾力性を書き言葉で再現できるかというと、そうでもないんですよね。町田さんの初期の作品に「きや」っていう感嘆詞を使ってる部分があるんです。「きや」って言うの。ニュアンスとしては、女の子たちの「やっば」とか「うーわ」みたいな感じの言葉。

 ただそこには、その言葉を本当に使ってるか使ってないかが問題にならない再現性があるんですね。それが町田さんの造語であっても、そこで使われてただろうと腑に落ちてしまう。再現がリアルを超えていくようなレベルのマジックを使うことができる、町田さんはそういう稀有な作家ですよね。

2023.07.25(火)
文=CREA編集部
写真=平松市聖