千早 ほんとですか?

 北方 たとえば、細かい描写。『魚神』はおどろおどろしいとか、イメージ的だったところが、『しろがねの葉』の中では、水の冷たさ、闇の深さがあった。この小説の中の世界の狭さについて問う選考委員もいたけど、小説の広さに関して論議する時に、ただ単に地面の広さを、場所の広さを言うのはナンセンス。上限はたかが地球で、どんなに広くしても地球以上に広くなれない。

 千早 SFでもない限り、宇宙まで行けませんからね。

 北方 ところが、闇の広さとか、小説家の世界の広さは、無限の広さとなり得るものでしょう。地面が狭くても無限の広さがあるのが小説で、闇というのは潜って中に入ったら、無限の広さがある。その闇が書けているから、俺は全然狭いと思わなかった。そういう、無限の広さを無意識に出せるようになってるよね。間歩の中も、においがあり、毒があり、空気があり、あそこで働いているやつの手が冷たかったりする。それらが全部総合されて描写になっているから、闇の怖さが分かる。見える。そこが「ああ、力を付けたんだな」と思った。

 千早 ほんとに? うれしいです。

 北方 それだけの作品であったと思います。でも、褒めるのはここまでで。

 千早 はい(笑)。

 北方 終盤で時間が飛ぶ意味がどれだけあるのかと考えた。トントントンと時間が飛んで、それまで筒であったものが輪切りになっている。その必然性は、はっきり言ってよく分からなかったね。

 千早 ラストがちょっと飛びすぎたかなというのは、自分でも懸念点でした。

 北方 時代も時間もスーッと筒で来たものが、ストンストンストンと輪切りになって最後まで書いてるから、女の一代記だという評も選考会ではありました。主人公のウメにとって、間歩は恐怖とか地獄であると同時に歓喜だったんじゃないか。その歓喜を書くのが小説でしょう。

 千早 連載を終えてから直した部分もありましたが、歓喜ですか、そこには行きつきませんでした。

2023.07.04(火)