スケールを知らず始めた戦争
浅田 よっぽど辺鄙なところに行かないと、街の個性や風土は味わえなくなりましたが、10年程前に行ったチチハルは「おっ!」と思いました。
小川 チチハル。ハルビンよりさらに内陸にある街ですね。
浅田 驚くことに鉄道路線の周囲360度見渡す限りの湿原なんですよ。日本にも釧路湿原とかあるけど、あんな地平線までずーっとという光景は世界でも他にないんじゃないかな。そこでふと、ああ、チチハル攻略戦というのは酷い戦場だっただろうなと実感が迫ってきました。満州事変末期に日本がチチハルに攻め込んだわけだけど、とにかく足元が悪くて、しかも十一月の凍りつく泥の中を進軍する。仙台の第2師団なら寒さに強かろうって派遣したわけだけど、寒さの程度が違うし、土地鑑のある守備側が圧倒的有利に決まっています。中国の広大さも風土も知らないまま戦争を始めてしまったのが悲劇の原因だと、一面の湿原に立ってつくづく思いました。
小川 満州と呼ぶ部分、中国東北部だけでもとんでもない広さがあるという事実を日本人が、特に決定を下す人々が分かっていなかったのは大きな敗因だと僕も思います。
浅田 日本人の感覚だと奉天(現・瀋陽)が満州の真ん中だというイメージですよね。
小川 僕も以前はその認識でした。
浅田 ところが奉天は入り口に過ぎない。満州国首都の新京(現・長春)でもまだ南満州、ハルビンまで行ってようやく真ん中かな、というのが実際のところ。この認識のズレは大きいですよ。
小川 しかもハルビンの北にまだ広大な土地があり、その向こうにようやくロシアがある。だから満州をロシアとの緩衝地帯と見做(みな)すことにそもそも無理があったんだと思います。衝突をやわらげるといっても、間に挟んだものが大きすぎて相手が見えないんじゃ意味がないですよね。
ユーラシア大陸のスケール感を把握しないままに満州国という人工的な国家を作り、完全にコントロールできると考えていたというのは、つまり地図を理解していなかったということ。この日本人の感覚にはないスケールを何とかして表現したいというのは、満州を書く上で常々考えることでした。
2023.07.03(月)