この記事の連載
- 東南アジアから見た日本の教育 #1
- 東南アジアから見た日本の教育 #2
- 東南アジアから見た日本の教育 #3
「どうして日本の人たちの表情は暗いのか」
野本 話は変わりますが、伊藤さんは学生時代、すごく生きづらかったと最近知ってびっくりしたんです。4年制の大学に行ってから再受験したり。不登校の経験もあるんですよね。
伊藤 はい。大学に入ったのはよかったんですが、夏くらいからやる気がなくなって、9月には全く授業に出れらなくなってしまいました。思い描いていた大学生活というのがなんだか違ったんです。当時はいくつかの大学のサークルには参加していたので、周りの友だちは私が学校に行ってないことには気がつかなかったと思います。
野本 なんと! そうなんですね。
伊藤 大学生の不登校は外からはわかりづらいですよね。一人暮らしだったので、午前中だけ予備校の授業に出て、午後は小説や漫画を読んで過ごしていました。でもそのときの読書体験が、いま編集者としての仕事につながっていると感じます。
野本 一本の道で行っていたと思っても、実は外れたほうが面白いこともありますよね。
伊藤 外れてしまいましたね。で、再受験したものの、短大にひとつ受かっただけで全部落ちてしまって。ただ当時の短大卒の就職率は、バブルの頃でしたからものすごく良かった。そんな時代にのっかって、本が好きだったので出版社ばかり受けました。
野本 内定をいくつももらえるような時代でしたよね。
伊藤 文藝春秋がいい会社だなと思ったのは、私のこのへんてこりんな学歴を入社試験の面接官が結構面白がってくれたんです。当時の文春は、立花 隆さんと一緒に「田中角栄研究」という金脈報道で田中角栄首相を退陣に追い込んだ田中健五さんが社長で、のちに歴史研究家として名をなした半藤一利さんが専務としていました。最終面接のとき、田中健五さんに「何で君はわざわざ四大から短大に行ったの?」と質問をされて、「歴史を勉強したくて史学科を受け直したんですけれど全部落ちちゃって」と答えたら「へえ」なんて(笑)。
野本 ちょっと外れた道に行ったことを面白がってくれたんですね。
伊藤 そうだと思います。
野本 私は伊藤さんの逆で、何も考えずに都立高校からストレートで早稲田大学に入って、金融機関に就職しました。出社1日目にして「大失敗、人生どうしよう」と思った。そこで初めて、それまで何も考えずにひたすら、みんなが「いい」というところを目指していたことに気がついたんです。
伊藤 周りに合わせていたんですね。
野本 合わせていたというよりも、何も考えてなかったんですよ。「まあ大丈夫かな」と思って会社に入ってみたら、「ここで私は20年も30年も勤めるの⁉︎」ってなったときに、もう絶望しかなくて。しかも一般職で入ったんです。なぜかというと、総合職を受けて落ちてしまって、一般職だったらとってあげると言われて。あまりプライドがなくて「それでいいです」って。いざ会社に入ってみたら、全然事務仕事ができなくて。すると「早稲田なのにそんなこともできないのか」ってすごく怒られた。逆に学歴ないほうがいいじゃんみたいな。仕事がつらかった。「ここから外れよう」と思って会社を辞めたんです。
伊藤 早く気付けてよかったですよね。そのまま30、40歳と続けていたら……。
野本 金融機関は長く勤める方が多いので、「ここを辞めたら生きていけないよ」と周りの人たちにすごく言われました。だけどマレーシア人と出会って、休暇のたびにマレーシアと日本を行ったり来たりするようになると、「どうして日本の人たちの表情は暗くて、大変そうなのかな」って思うようになって。
伊藤 マレーシアの人との出会いが、野本さんの人生におけるエポックメイキングになったのですね。
2023.05.23(火)
文=文藝春秋