――お父様が亡くなられたあとは、いかがでしたか?
平野 ずっと看護していたので、かなり参っていました。正直、母をひとり残して留学に行くのは心配でもありましたが、いまこのタイミングで行かないと私も後悔すると思って決行したんです。
――2019年にお母様とニューヨークに旅行に行かれたようですが。
平野 私自身は、2016年に短期留学してからも、年に2回はニューヨークに行ってレッスンを受けたり、ブロードウェイでミュージカルを観たりしていたんですけど、ニューヨークに住んでいた時以来、約30年ぶりに母と一緒にニューヨークに行くことにしたんです。ブロードウェイで好きなミュージカルを観て、元気になってほしいなと。
――まだ幼い平野さんを連れてニューヨークに渡った時代のことは、そのときに話しました?
平野 しました。「ノイローゼになりそうだった」と言ってました。
父は自分の仕事の関係でニューヨークに渡りましたけど、母はニューヨークで暮らしたかったわけではないんですよね。それでも一生懸命に英語を勉強して、幼い私を保育園に連れて行ったんです。当時はまだ日本人も少なく差別もありましたし、すごく治安が悪くて、「絶対に地下鉄は乗っちゃいけない」と言われていたそうです。
ニューヨークの旅行中、事件が…
――お母様との旅行で何がいちばん印象に残っています?
平野 めっちゃケンカしました。
――あら。
平野 普段からケンカはするんですけど、このときはすっごくケンカしました。原因はたぶん、本当に些細なことだったと思います。同性だから、というのもあると思うんですけど。あとでよくよく考えたら、父がいたときには、いつも父があいだに入ってくれていたんです。
あと……、そうだ、大停電があったんです。
――停電?
平野 市内で停電が起こったんです。停電のせいでホテルの部屋に戻れなくて、旅の疲れで熱を出してしまった母が、ロビーで何時間も待機するしかなく、まだ開いているお店でご飯や飲み物を買って、母のために走り回りました。
2023.04.08(土)
文=加山竜司