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乗り越えなくていい困難もあるし、成熟なんてしなくていい

――この映画では、ぬいぐるみが自らしゃべり出すことはありませんが、ぬいぐるみの考えや声を入れることは考えなかったんでしょうか。

 それは考えなかったです。ぬいぐるみとしゃべるって、独り言と誰かと会話することの中間にある行為だと思うんです。決して言葉を返さないとわかっているからこそ、ぬいサーの人たちは自分の内側にある傷や弱さを吐露できるわけで、もしぬいぐるみから何か言葉が返ってきたらそれは会話になってしまう。だから、ぬいぐるみが言葉を発してはいけないと、初めからはっきり決めていました。

――ただ、ぬいぐるみからの視点はところどころに入ってきますね。

 カメラマンの平見優子さんと一緒にカメラ割りを決めているときに、「ぬい(ぐるみ)視点はどうする?」という言葉がどちらからともなく出てきたんです。当然あるよね、とお互いが思っていたみたいで。結果的に、白城のやさしさを見つめる人として「ぬい視点」は必要でしたね。

――これまでの金子さんの映画は、外を歩き回る場面が多かったように思います。本作は大学の部室や一人暮らし用のアパートなど、主に狭い室内で撮られていますが、難しさは感じましたか?

 同じ部屋のなかで見ている人を飽きさせない設計をどうつくるかは、平見さんと何度も話しあいました。ただ実をいうと、私は今回の撮影中、とにかく「人」のことばかり考えていて、あまり「映画」のことを考えていなかったかも、という気がしています。さまざまなシーンで「映画」のことより「人」を優先する選択をずっとしていましたね。

――それは、今までにない感覚ですか?

 ないです。これまでは「人」のことは全然考えず、自分がどういう感じを撮りたいか、どう撮れば「映画」としてよくなるかということばかり考えていたので。「ぬいしゃべ」では、傷つけてしまうかもしれない鑑賞者のことも考え、何度も立ち止まりながら作っていました。今までとは真逆の試みをしたように思います。

――たしかにこれは今までにないとても挑戦的な映画ですよね。ドラマをつくるうえでは、弱い人が何かを克服して強くなるというかたちが一つの定石だと思いますが、この映画では、必ずしも何かを克服する必要はないのだと、新しいドラマのあり方が提示されているように思いました。

 物語において、困難を乗り越えて成長していくみたいな設定が私はすごく嫌で。別に乗り越えなくていい困難もあるし、成熟なんてしなくていい、ただ生きてそこにいるのがどれほどすごいことなのかを見せたかった。『眠る虫』でもただそこにある存在を劇的に描いたつもりでしたし、そういう意味での姿勢はこれまでとあまり変わっていないのかもしれません。

 それと、一見繊細で弱い集団に見えるけど、ぬいサーの人たちって実は革命への機微になる人たちだなってことは、撮りながらずっと考えていました。みんな自分の無自覚の加害性に怯えて内に閉じてはいるけど、それでもしゃべらなきゃって思っているわけで、それってすごいことですよね。自分の内側に蓄積されている言葉を外に出すって、世の中にアクションを起こすことでもあるわけだから。

2023.04.13(木)
文=月永理絵
写真=杉山秀樹