NHKの朝ドラ「舞いあがれ!」での「なにわバードマン」の一員役として注目の細川 岳。映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』でもサークルの先輩役を演じた彼が、映画館でのアルバイトから始まった縁や、今や伝説と化した『佐々木、イン、マイマイン』のエピソードなどについて語ってくれました。


●高校時代に感じた「自分には映画俳優しかない」という気持ち

――幼い頃の夢を教えてください。

 父親の影響もあって、小学生の頃から映画を観る機会は、人より少し多かった気がします。『ジュラシック・パーク』や『ジュマンジ』といった映画を観ていました。それに、図鑑などで宇宙に興味を持っていたこともあり、将来は映画俳優か、宇宙飛行士になりたいと思っていました。

――その当時、具体的にどのようなことをされたんですか?

 地元の俳優養成所に行って、台本をもらい、人前でお芝居を魅せたりもしました。ほかにも、1年ぐらいダンスを踊ったり、歌も歌ったりしたんですが、とにかくヘタクソで、めちゃくちゃ恥ずかしかったんです。でも、初めて人前で芝居をしたときに何かが解放されたような高揚がありました。「これだ!」と思ったんです。

――その後、上京して、新宿の映画館(バルト9)でバイトを始められます。

 19歳のとき、何の伝手もないまま上京しました。でも、ホームシックになったのか、喫茶店でのバイトもすぐに辞めてしまい、1カ月半引きこもって家で映画ばかり観ていたんです。本当は映画館で観たいけどお金もない。そのとき、「映画館で働いたらいいかも?」と思い、バルト9に履歴書を送りました。その後、3年ぐらい働いていました。

●バイト先の映画館で知り合った監督たち

――そこで、後々組まれる佐藤快磨監督との出会いがあったかと思います。

 監督志望の先輩と映画に出たい俳優志望の後輩という、バイト上の関係でしかありませんでした。しかも、当時の自分はバイト先で変に尖っていたんですよ。でも、そこを佐藤さんが気に入ってくれたようで、「今度、長編映画を撮るのでオーディションを受けてくれない?」と言われ、『ガンバレとかうるせぇ』(2014年)に出演することになりました。

――それまでのあいだ、ほかの監督の自主映画には出演されていたんですか?

 はい。当時、自分の年齢に当てはまるオーディションを探しては受けて、出演していました。ただ、『ガンバレとかうるせぇ』は「ぴあフィルムフェスティバル」で映画ファン賞や観客賞を獲ったり、「釜山国際映画祭」に招待されたりして、「自主映画でもこんなに広がりがあるんだ」ということに初めて気付かせてくれました。佐藤監督と共に映画を作ったことで、なんでもかんでも出演するのではなく、作品に自分で責任を持てるものを選ぼうという意識に変わった気がします。

――17年の短編『どうしようもないほど、分かってんねん。』以降、『愛うつつ』(18年)、『きみは愛せ』(20年)と、葉名恒星監督作品では常に主演を勤められていますが、彼ともバイト先(バルト9)で知り合われたんですよね?

 佐藤さんと一緒に住んでいるときに、よく遊びに来ていたのが会社員を辞めて、フリーターなっていた葉名でした。だから、より友だち感覚が強くて、同い年ゆえに自分の思っていることを言いすぎてしまうこともありますが、脚本の相談をしてくれたりなど、信頼してくれることが嬉しかったです。「今後も一緒にやっていくんだろうな」と思っています。

●今後の大きな指標となった『佐々木、イン、マイマイン』

――そして、同じ新宿の映画館(新宿武蔵野館)でバイトしていたことで知られる内山拓也監督との出会いは?

 『ガンバレとかうるせぇ』での経験から、「自分でも映画を撮ったら面白いものができるんじゃないか」と勘違いして、自分でも映画を監督したんです。そのときに録音部がいなくて、急遽ヘルプで入ってもらったのが、内山でした。その後、彼が初監督作の『ヴァニタス』(16年)を撮るときに声を掛けてもらいました。

――そんな内山監督とは、20年に細川さんが出演のほか、企画・脚本も担当された『佐々木、イン、マイマイン』でふたたびタッグを組みます。

 『ヴァニタス』の後、お互い仕事が上手くいっておらず、僕自身役者を辞めようと思っていたんです。それで最後に、高校時代にいた友人を演じたいと、内山に『佐々木、イン、マイマイン』の企画を話しました。そのときは「後悔しないよう、これだけはやっておきたい」という気持ちでいっぱいで、映画が劇場公開される未来のことなんて、一切考えられませんでした。

――その後の劇場公開時には大きな話題を呼び、細川さん自身も「第42回ヨコハマ映画祭」審査員特別賞を受賞されました。

 決して、そのために作ったわけではないのですが、作品を評価されたり、映画祭で賞をいただけたことは嬉しかったです。だからこそ、『佐々木、イン、マイマイン』は自分にとって大きな転機となった作品といえます。役者もそうですが、あの座組は奇跡だったと思いますし、作っているときから公開が終わるまで、その期間が今後の映画に関わっていく一個の指標になったかと。その反面、もっといろんな人に観てほしかったという気持ちが強まりましたけど。

2023.04.07(金)
文=くれい 響
写真=佐藤 亘
ヘアメイク=安藤メイ