一穂 私が大阪の人間だからでしょうか。大阪の人間にとって、笑いは哀しみと一緒みたいなところがあって、つらいことほど笑い話にしちゃうんですよ。つらいことをそのまま言ったらなおつらいけど、笑いで元を取る、みたいな。そういう文化が染みついているのかなと思います。

川上 これほど「笑い」が書けるのは、心底うらやましい。たとえばお芝居でも、はじめに笑わせて場をあたためればあたためるほど、物語に観客を入りこませるのが容易になる。その温度差って小説にも応用できると思う。一穂さんは先ほど「コントロールしていない」とおっしゃっていましたが、結珠と果遠の関係性が徐々にあたたまっていくのは、頭の中に架空の生き物の水槽があって、それを観察していった結果なんですか?

一穂 まさに「結珠と果遠の観察日記」をつけていたのかもしれません。そうやって書き進めているうちに勝手に水槽のなかに新たな生き物が入ってくることもあって、小説を書いていて楽しいのはそういう時ですね。

 
 

川上 その架空の水槽を保つのがいちばん大変なんだよね。私はわりと、同時にいくつか違う小説を書くのは大丈夫で、そこに来た途端に「あ、この水槽、ここにあったぜ」って思い出すタイプなんですけど、一穂さんはどうですか? いくつかの話を並行して書くのは?

一穂 自分の書くスピードのキャパシティの範囲内であれば、同時並行で複数進めるのは嫌ではないです。物理的にバッティングしてしまって、ここで終わっているはずの仕事が終わってないのに次が来てしまってしかたなく……というのもありますけど(笑)。川上さんは、並行して書きたくないタイプかと思っていました。

川上 もしそうだったら、全部の作品を覚えていると思う。書き終えると、すぐに忘れてしまう、自分が書いたのに。ただ、10年くらいたって振り返ってみると、「あっ、これ、あのときの嫌な奴だ……」とか、書いている時に起こったことが、その小説のなかに残ってることはある。でもそれは恋愛をしたとかそういう華々しい大きいことじゃなくて、ちょっと近所の人が妙だったとか、そういう些細なことなんですけど、その時の何かがにじみ出ているものなんですよね。一穂さんもそういうのありますか?

2023.04.07(金)