それと、自分のことを言うと、せいぜい書くとしても自分より10歳くらい上までしか私は書けない。400歳とか1000歳とかはたまに書くんですけど、それはもう誰にもわからないから書くので、たとえば自分が80歳の人のことをその人の気持ちで書くというのは、今の私にはできない。
『光のとこにいてね』をあの年代で終えたのは、そういうことも意識されたのですか?

一穂 そこはあまり意識しなかったですね。二人が歳をとって、おばあちゃんになってから一緒に暮らしましょうみたいな人生を送るのも、それはそれで素敵だなとは思ったんですけど……。

 でも年齢の話でいうと、当時30代前半だった自分が書いたBLで、40代半ばの男性をすごい仕事のできる重厚な人として描いていて、後から驚いたことがあります。多分その時の私には、40代半ばはすごい大人で、成熟しているように見えていたんだろうなと。逆にいまは、若い子を見て「大人だな、賢いな」と思うことが多々あります。

川上 それは私も思います。よくできた若い人は本当にそうなんですよね。なんでそんなに大人なの、って。

 
 

◆小説のなかに流れ込むもの

一穂 先日の『文學界』(編集部註:2022年11月号)に載っていた川上さんの「銀色の鍵」という短篇も、少女たちを長い時間で書かれていますけど、その長さを感じさせないですよね。忘却が持つ優しさとか、痛みとか、丹念に描かれているのに、年代自体は大胆に飛んでいく。

 川上作品の特徴でもある、淡々としていたかと思うと、ある一点でポッと火が灯る、みたいな温度差というか緩急やメリハリって、どうやってつけておられるんですか?

川上 それが、あとで自分が書いたのを読み返すと、「誰が書いたんだろう」といつも思うぐらいで……。なんなんでしょうね、不思議。まあ、いろんなものを読んできたからかな? もちろん、読むだけじゃなくて映像を見たり、人が話すのを聞いたりもありますけど、自分の中から出てくるものって限界がありますよね。
 一点でポッと光が灯る、ということでは、一穂さんの小説は「笑い」によって、ポッと光が灯る。

2023.04.07(金)