バブルの空気漂うMVを堪能する
改めて観ると、「危険な女神」のMVは、思い出以上にバブル感が濃厚だった。一般的にはバブル崩壊は1991年とされているので、1990年はその直前。……なのだが、世の中は、ボディコン、大きな肩パットスーツ、ソバージュが闊歩し、まだまだウェーイな空気が漂っていた(なんてったってバブルの象徴、ジュリアナ東京がオープンしたのが1991年である)。
KATSUMIのファッションがまず、短めのソバージュ、派手な柄のシャツなど、バブリー・フレイバー強め。そのうえ、訳がわからないほどアレコレ盛り込んだ演出よ! 彼の甘いマスクを余すところなく撮ろうとしたのか、カメラマンが近づきすぎて、彼の顔の半分がはみだして映らない、時にはほぼ見切れる、という本末転倒なシーンもあり、その熱さがなんとも微笑ましい。二つの扉の間に立ち、KATSUMIがどっちを開けるか迷いに迷って、結局どっちも開けず決めポーズ、という優柔不断なオチもいい。
「♪君っがっ魅せたッあのほほっ↑ えみ~(君が魅せたあの微笑み)」
いやもう、青春よおかえりなさい。何度でも観れる!
しかしあふれる「好き」は時として黒歴史に直結する。学生時代、今以上に自意識過剰&妄想炸裂だった私にとって、KATSUMIの色気は罪だった。だんだん「手に負えない人を好きになってしまった」と、ひるんでしまったのである。幼少期から西城秀樹や世良公則といった、情熱大暴れ系を好きになっておきながら、なにを今さらである。
けど観たい。ライブに行きたい。意を決し、友人2人と1992年の「ROSE IS A ROSE Concert Tour 1992」に参戦することを決め、チケットを取った。ところが私は緊張のあまりチケット代だけを払い、別の友人に譲ったのだった。我ながら泣ける。バカ過ぎて!
自分で自分がよくわからなくなる。変と似ている、それが恋――。最近の若者用語で、本気で恋に落ちてしまった大好きなアーティストのことを「リアコ」というらしい。思い返せば、あの情緒不安定っぷりは、まさに「リアコ」だったのかもしれない、と思うのである。
2023.03.18(土)
文=田中 稲