2023年、「二月大歌舞伎」が開催されている歌舞伎座の正面玄関を入ると、ロビー前方左手に祭壇が飾られています。今にも声が聞こえてきそうな快活な笑顔を見せている写真の人物は2011年にご逝去された中村富十郎さん。第二部で「五世中村富十郎十三回忌追善狂言」として『船弁慶』が上演されているのです。
父・富十郎が「生涯をかけて追求してきた踊り」
能の作品を題材とするこの歌舞伎舞踊で前半は静御前、後半では平知盛の霊を勤めているのは富十郎さんの長男である中村鷹之資さん。富十郎さんは女方から豪快な立役まで幅広い役柄を演じ、レパートリー豊富な歌舞伎で数々のジャンルで活躍された名優です。とりわけ賞賛されたのが舞踊で『船弁慶』は屈指の当り役でした。
「父が生涯をかけて追求してきた演目です。その『船弁慶』を初めて勤めさせていただいたのは昨年の自分の勉強会(自主公演「第七回 翔之會」)だったのですが、こんなにも早く歌舞伎座で、それも父の追善狂言としてさせていただけることになり、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです」
公演前に行われた取材会で恐縮しながらも語った鷹之資さんの表情は、「父が愛し自分も大好きな、憧れの演目」を歌舞伎座で上演できることの感謝と喜びに満ちていました。
2日に迎えた初日。鷹之資さんが静御前として登場すると、場内は大きな、そして何とも温かな拍手に包まれました。それは襲名や追善など特別な意味合いを持つ演目が上演される時によく見受けられる現象。観客は目の前で展開されている舞台を楽しみながらその芸を現在まで繋いで来た先人の偉業や演じ手の未来に思いを馳せ、心豊かな時間を過ごすこととなるのです。
新開場十周年を迎えた歌舞伎座で『船弁慶』が上演されるのは実はこれが初めてのこと。
「舞台から客席を見渡した時に、この景色を父はどんなに見たかっただろう、と思いました。新しい歌舞伎座の舞台に立つことを本当に楽しみにしていましたから……。それと同時にこれが父の目にして来たものなのか、とも思いました」
2023.02.18(土)
文=清水まり
写真=佐藤亘