歌舞伎における『忠臣蔵』の話題はこれまでにもたびたび触れてきましたが、そのスピンオフともいうべき新作にこの秋は注目です。
講談の名作『荒川十太夫』が歌舞伎に
現在、歌舞伎座「十月大歌舞伎」で上演中なのが『荒川十太夫』。物語は赤穂四十七士の中でもメジャーな存在である堀部安兵衛が切腹を遂げる最期のシーンから始まります。
![『荒川十太夫』堀部安兵衛=市川猿之助さん(©松竹)。](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/7/7/1280wm/img_77d4129ba2888212e1ee2514927f047e43963.jpg)
場面が変わるとそこは四十七士が眠る泉岳寺の境内。ふたりの供を引き連れて墓参に訪れた武士が、出で立ちやふるまいを怪しまれることからドラマは動き出します。その武士こそタイトルロールの荒川十太夫で、吉良邸討ち入り後に4名の赤穂義士がお預けとなった伊予松山藩松平家に仕える下級武士です。
十太夫が怪しまれたのは身分の高い侍を装っていたからで、今でいうなら経歴詐称。身分制度が厳しかった当時、それは現在とは比べものにならないほどの大罪です。十太夫の主君である松平隠岐守による直々の取り調べが始まり、その真相が明らかになっていくのですが……。
![『荒川十太夫』荒川十太夫=尾上松緑さん(©松竹)。](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/4/2/1280wm/img_423bc5ba8f1dd5d5661b5c04f8e3d03c125818.jpg)
真相と共に浮彫りとなるのは十太夫の実直で高潔な人柄で、十太夫を演じる尾上松緑さんの全身からそれが滲み出ています。十太夫は安兵衛切腹の折にその介錯を仰せつかった人物で、隠岐守や回想シーンにおける安兵衛とのやりとりでは、それぞれの立場をわきまえた秩序の中で互いの言葉に耳を傾け、相手を思いやり、心を通わす人と人との交流がひたひたと沁み入るように描かれています。
![『荒川十太夫』左より:荒川十太夫=尾上松緑さん、杉田五左衛門=中村吉之丞さん、松平隠岐守定直=坂東亀蔵さん(©松竹)。](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/3/9/1280wm/img_3962aa234f3169b2128d350d909f55d3112332.jpg)
ご存じの方もいらっしゃると思いますがこの作品は講談に題材を取ったもの。神田伯山さんとも交流があり日頃から講談に親しんでいる松緑さんの発案によって歌舞伎化されたのでした。
「楽屋で伯山先生の『荒川十太夫』を聞いていた時に舞台の光景がパッと目に浮かび、これは歌舞伎になる、とすぐに思いました」。公演を前にして泉岳寺で行われた取材会で松緑さんが語った言葉です。
![泉岳寺 堀部安兵衛墓前 左より:神田伯山さん、神田松鯉さん、尾上松緑さん。](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/2/2/1280wm/img_2270c6285f365223a8ead9f21c926d2b212934.jpg)
取材会には伯山さんとその師であり、この作品を復活した人間国宝の神田松鯉さんが同席する形で行われ、師弟は大事にしていた作品が歌舞伎になる喜びを語りました。
「新作だけれど、どこかで見たことがあると思ってもらえるような作品を目指したい」と語っていた松緑さん。
![尾上松緑さん。](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/8/5/1280wm/img_85be0608bb697adc2b5ef492da7b02a1124494.jpg)
その言葉通り大切に受け継がれて来た演目であるかのような親しみある風景の中で、いつの世も変わることのない、人として大切な根源的なものが描かれています。そして十太夫に下される詮議のゆくえに、明日を生きる勇気が湧いてくる展開となっているのです。
![第一部『荒川十太夫』左より、荒川十太夫=尾上松緑さん、泉岳寺和尚長恩=市川猿弥さん(©松竹)。](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/1/e/1280wm/img_1e8cfa06917f0d513ad569949975de5a109998.jpg)
この作品でキー・パーソンとなる堀部安兵衛を演じているのは市川猿之助さんです。そして猿之助さんがスーパーバイザーを務める演劇プロジェクト「猿之助と愉快な仲間たち」の最新作もまた堀部安兵衛に関する物語なのです。
2022.10.19(水)
文=清水まり
写真=深野未希(稽古場写真)