その際には、表現の細部にまで神経を張り巡らせて書く。今作では「震災」という言葉を一切使わず、「災厄」と呼ぶことを徹底していたりするのだ。

「『震災』『瓦礫』『津波』といった単語は不快に感じる読者もおられるかもしれないと思い、使わないようにしました。同時に、災厄という言葉を使うことによって、東日本大震災にかぎらない災害についても視野に入れられたらとも考えました」

端正な文章とリズム。影響を受けた作家は?

 東北という舞台設定や災厄にまつわるテーマだけでなく、文章表現の妙にただ酔いしれることができるのも『荒地の家族』の魅力のひとつだ。

 造園業を営む主人公の祐治が肉体労働にいそしんだり、去ってしまった妻の勤め先へつい顔を出してしまうことなどが繰り返し端正な文章で描写され、読み進むうち場面がどんどん印象づけられていったり、文章のリズムが病みつきになったりする。

「そうですね、繰り返すことの効果は意識しています。読む側にくどいと思われないよう、ギリギリの線に留まることに気をつけながら、ですが。それによって時間の流れをうまく表すことができたらと思いました」

 佐藤さんの達意の文章からは、先行する作品の膨大な読み込みが感じられる。聞けばやはり、肉体労働の筋肉が熱を帯びて働く描写は中上健次の、淡々と続いていく日常を描き出す表現には小沼丹からの影響があるという。

 

 つねに文学の近くにいるために、書店勤めと小説家という二足の草鞋を履き続けているのだろうか。

「まずは単純に生活のために仕事をしているというだけですが、書店を働く場として選んだのは、たしかに好きなものにいつもさわっていたいという思いからですね。書店員としての楽しい瞬間ですか? 本が届いて荷分けするため段ボール箱を開けるときでしょうか。中身はわかっているのに、『ああこの新刊がはいってる!』などと気分が浮き立ちます」

2023.02.07(火)
文=山内 宏泰