ショッピングセンター内の喪服売場で働く女性が、フードコートに入り浸る少女と出会い、自身の子育ての記憶や名付け得ない感情を呼び覚ましていく――。
1月19日、第168回芥川賞に選ばれた井戸川射子『この世の喜びよ』は、他者へ注ぐ視線の温かさと、読むことそれ自体の快さを味わわせてくれる小説だ。
直後の記者会見では、
「自分の書きたいものが書けたなという気持ちはありました。受賞を励みにして、これから自分がいいと思うものを書いていきたい」
と語った井戸川さんに、受賞決定翌日に話を伺えた。
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“芥川賞”が読書の指針だった
一夜明けて、受賞の実感が増したか問うと、
「もちろん昨夜からずっととてもうれしいですよ。読書の指針にしてきた芥川賞の末尾に名を連ねられると思うと、感激しますね」
とのこと。これは井戸川さんが作家になった経緯と関わる。
国語教師の父親の影響もあったのか、小学生時代には早くも料理本から青い鳥文庫まで、活字なら手当たり次第に読む「本の虫」となっていた井戸川さんは、大学時代に自身も教師を目指そうと決めた。
関西学院大学の社会学部に在籍していたものの、文学部の授業を履修し国語教師の免許をとった。
「だから私には、他の国語の先生に比べて、教師に必要な読書量が足りてないんじゃないかという焦りがありました。それで教師として働くと決まってから、どんどん読んでやろうと考えた。何から手をつければいいかなとなったとき、教員採用試験の勉強で用いた国語便覧を活用することを思いついた」
そうして夏目漱石、太宰治ら文学史上に残る作品を片っ端から読んでいった。
「便覧には直木賞と芥川賞の受賞作一覧も載っていて、現代ものはこれでカバーすればいいかなと候補作も含めて読み進めました。その過程で多和田葉子さん『ペルソナ』や柳美里さん『フルハウス』と出逢い、カッコいい、言葉で芸術をやっているんだ! と気づきました。そこから純文学ばかり、すごい量を読むようになりましたね」
2023.02.06(月)
文=山内 宏泰