ディープな音楽ファンであり、漫画、お笑いなど、さまざまなカルチャーを大きな愛で深掘りしている澤部渡さんのエッセイ連載第2回。今回は、年末年始のテレビ番組をきっかけに蘇った、お笑いにまつわる昔の記憶。お笑いと少し距離を取っていた時期の澤部さんに、大きな衝撃を与えた芸人とは?
年末年始、テレビをつけると好きな芸人がたくさん出ていて嬉しくなった。いい未来に私はいるのかもしれない、とさえ思えてしまう。私が多感な頃は、お笑いやヴァラエティ番組が好きだったはずなのだけど、苦手な笑いも数多くあった。みんなが笑っているもので笑えないことは誇らしくも感じていたはずだったが、多感だったゆえに世間とのズレを感じるのがつらくなり、次第にお笑いと距離を取るようになり、積極的には見ないようになってしまったような気がする。
(お笑いが好きなはずなのに)という気持ちを抱えながら、そうして隅に追いやられたのか、はたまた自ら隅を目指したのか、20歳を過ぎた頃には深夜番組ぐらいにしか居場所はなくなっていた。だから、お笑いにちゃんと接するようになってからの日は浅い。それでも遡ると今から7年も前になってしまう。気がつくと私も3度目の年男が巡ってきていた。
中学からの古い友人に松本健人くんがいる。高身長でスポーツも勉強も得意。その甘いマスクから下級生にはファンクラブまであったという伝説も聞いたことがある。ビザール・ティーンエイジャーの代表のような私と松本くんは出会ってすぐに仲良くなり、高校では同じ美術部に入り、放課後という放課後を一緒に過ごしていて、現在に至るまで仲のいい大切な友人だ。
私は音楽の道へ進み、彼はテレビマンとして働き始め、それぞれの成果が上がりだした2016年頃、新しく引っ越した部屋に松本くんが遊びに来た。当時の彼は新しい芸人を見つけてくるのが得意で、常に新しい芸人の情報を持っていて、「今面白いのは」と「Aマッソ」を教えてくれた。駅まで送る途中に「そうじゃねえだろ」(現・ケビンス)の仁木恭平さんがシャラ~ペさんと組んでいたコンビ)の動画を見せてくれたこともひとつの引き金になったのだろう。部屋に戻り、Aマッソの動画を見漁り、見事にハマってしまった。
しかし、この時点でお笑いのライヴに行くことにはまだ抵抗があった。いざ足を運んでみて、居場所がなかったら? ビザール・ティーンエイジャーだった私はそのままビザールな大人になった。みんなが笑っているときに笑えないのがどれほど苦痛か、ということを知っている。その分、どうにもあと一歩が踏み出せなかった。
2023.02.08(水)
文=澤部渡
イラスト=トマトスープ