書店に送った300通の手紙

――手紙にはどんなことを書いたのですか?

新里 「若い人が本を読まないと言われていますが、この本はいま、渋谷の女子高生の間で大ブームなんです。だから『CanCam』の隣に置けば、売れること間違いなし」とかアピールポイントをぎっしり書いてみたものの、「雑誌と書籍の棚は違うから並ぶわけがない」などと社内で言われて。そういうことじゃないんだよなとか思いつつ、しぶしぶ内容を修正して。300通、書店宛てに送りました。その時もたくさん注文が入りました。

 最初は馬鹿な新入社員が何かやっているという目で見られていたんですけど、そんなことを続けていくうちに少しずつ協力してくれる人が増えて、一気に火が点いたという感じでしたね。2003年5月には、初めて10万部の重版をかけました。それ以降は毎月10万部以上重版し、その分がきれいに売れていくという理想的なロングセラーへと成長していきました。

――2003年11月、映画の制作発表のタイミングで100万部を突破しています。

新里 そうなんです。さらに、翌年の映画公開後1か月で100万部以上を重版して、300万部を超えました。いまだから言えますが、僕自身は映画化にはあまりピンときていなかったんですよ。

大ヒットの「弊害」も

――ブームが社会現象化して、もはや新里さんの「手を離れた」という感じだったのでしょうか。

新里 そうですね。営業担当としては毎月10万部重版して、いろんな書店員さんや他社の営業の方と知り合えた頃が一番面白かったかな。

 あと、映画化された後、取引先との会食なんかがあると必ずカラオケで映画の主題歌の「瞳をとじて」(平井堅)を歌わされて。それが本当に嫌でした(笑)。最近になってようやく素直にいい曲だなと思いながら歌えるようになったんですけど。

――当時をふりかえって、ヒットの要因は何だったと分析されますか?

 

新里 当時は「新入社員がたまたま発見した」というストーリーに注目が集まりましたが、それよりも、長くいい場所や棚で売り続けてくれた書店員さんが何人もいたからこそのヒットだったと思います。その人たちがいるお店との縁は、映画化が決まってミリオンを突破した後もすごく大事にしていましたね。

2023.01.09(月)
文=「文春オンライン」編集部