まだ十五歳で、「家」で「家族」に守られているはずの年代なのに、雛歩は独りぼっちだった。本書の魅力を挙げると、まずは、巣からはぐれてしまった、雛鳥のような少女を主人公にし、十代の視点からその目に映る「世界」を描いた、青春小説、成長小説である点だと思う。家族と離れて伯父の家に引き取られた雛歩は、さぎのやに来て、人や町と出会っていく。読者は物語を読みながら、「帰る場所」を喪失したのは雛歩だけではないことに気づくだろう。年代も経歴も職業も多様な人々と遍路宿のありようが、雛歩のまっさらな目線から描きだされる。巡礼者と「帰る場所」という重厚なテーマを扱いながら読み心地が重くなく、むしろ軽やかなのは、「これから」を生きる少女の視点で描かれているからだろう。もともとは明るい性格だった雛歩は、いろいろあって勉強が遅れ、歴史も地理もよく知らないので、たとえばリヒテンシュタインとフランケンシュタインの違いがわからない。小賢しくない、とも言える。大人たちが話すことに対する反応がいちいちずれるので、ちょっとユーモラスなのである。目の前の出来事に一喜一憂し、いろんな人々の想いに触れて、自分を取り戻していく雛歩の感情が、精細に描かれている。

 次に、著者の天童荒太さんが故郷を描いた小説であるのも、本書の読みどころだ。松山城を中心に発展した旧城下町の松山市は、豊かな歴史を持ち、一九九四年に現役の公衆浴場として初めて国の重要文化財に指定された、道後温泉本館もある。〈いきなり道後の町が眼下に広がった。道後温泉本館が見下ろせる。壮麗な建物の上を飛び、松山城が自分と同じ目の高さになる。松山市街のずっと先、キラキラ光る海まで見渡せる。/はるか彼方だった青い空が近くなり、太陽の光に目がくらむ〉。生まれ故郷の光景や空気感を描きだす筆致はあざやかで、けがが癒えて外出できるようになった雛歩とともに、松山市街の町歩きや秋祭りの光景を臨場感たっぷりに楽しめる。本書で少し触れられている谷崎潤一郎著『細雪』が上方の伝統文化に触発された物語であるように、本書もまた、松山市と遍路宿という舞台があって生まれた作品だ。

2023.01.02(月)
文=青木 千恵(書評家)