初代はその人形劇を歌舞伎に取り込むことで子役スターとして出発したと考えられているのだ。つまり人形劇によく見られるようなスーパーマン的な人物を歌舞伎の舞台に登場させたのが荒事といっていいのだろう。ただし主人公を『曽我物語』の曽我五郎のように怨み死にした人物に設定したケースが多いので、民俗学的には御霊信仰と関連づけられてもいるのだった。
初代は劇場で刺殺
初代は幼名を海老蔵といったらしく、芸名は市川段十郎を名乗り始めて途中で「團」に改字し、芸歴を着実に重ねてついには江戸随一ならぬ「随市川」と称される抜群の人気役者となった。それが人気絶頂の四十五歳にして上演中の劇場で一座の役者に刺殺されるという衝撃的な最期を遂げ、江戸庶民の強烈な記憶として留まったのである。
同僚に殺されたと聞けば本人が何か恨まれるようなことでもしたのかと想像されるが、当時の史料を見ると意外なほど謹厳な人格者だったようで、犯人は逮捕直後に獄死したから事件の真相はまさにミステリー。ともあれ彼は名優であるばかりか文才に長け、升を三つ重ねた自分の定紋に因んだ三升屋兵庫の筆名で、相当に難解なセリフのある台本を書くインテリだったし、次々と斬新な演出も編みだしていた。
今日に残る台本のあらすじは人間の内面にある善と悪のせめぎ合いを穿ったようなストーリーが多くて、そこには仏教思想の反映が見て取れる。また父親の郷里に近い成田山新勝寺の不動尊信仰が篤かったところから、成田屋の屋号が生まれた。
二代目は九蔵という幼名で舞台に出て父親そっくりの身ぶりをする、これまた名子役としてスタート。父の横死により十七歳で二代目を襲名し、周囲の引き立てで早くから人気役者になるが、父より小柄で童顔だったから、父の創造した荒事をするには多少迫力に欠けたところもあったようだ。代わりに荒事をスタイリッシュにした人物といってもよく、今日に歌舞伎の表徴のように見られる隈取は彼の時代に考案されたものであった。
2022.11.21(月)
文=松井 今朝子