名跡は「株」

 商家の襲名が多くは実子よりも優秀な養子で続いて行ったように、役者の名跡も実子だけで江戸時代から今日に延々と続く例は皆無といってもいい。名跡は業界での存在価値を担保する「株」のようなものと考えられて、名乗る者に力量がないと名跡自体が消滅する一方で、有望な役者が無縁な名跡をぽっと引き継いだ例も多々あるのが現状だ。そんな中で代々の團十郎は襲名の経緯において比較的正統と見なされてきたことが、この名跡の価値を高めてもいるのだった。

 それにしても京都出身の私がこうして江戸を代表する役者について書くのは我ながら妙な感じだが、そこには故十二代目團十郎丈との御縁を考えないわけにはいかない。

 江戸中期の役者を主人公にした拙著『仲蔵狂乱』という時代小説が二十年ほど前にテレビドラマ化された際、出演者だった故人から制作発表記者会見の直後に「次はうちの初代を小説にしませんか」と勧められた時はまるでぴんと来なかった。ところがその後なぜか團十郎の代々について講演する機会が二度もあったおかげで、なまじっかな芝居よりドラマチックな初代の実人生を史料で押さえつつ真っ向から取り組んだ時代小説は、ふしぎとこれまで皆無であることに気づいたのだった。


 かくして二〇二〇年の四月には故人のお勧めを拙いながらもやっと果たせた思いで『江戸の夢びらき』を上梓。初代團十郎が歌舞伎に果たした大きな役割を、改めて世に問うてみたつもりだ。

 詳しくはそちらをお読み戴きたいが、初代を端的に紹介するとやはり「荒事」の創始者ということになろう。今日にもよく知られた「暫(しばらく)」や「鳴神(なるかみ)」の原型を創った人物であり、十四歳の初舞台で全身を真っ赤に塗って坂田金時を演じたのが荒事の始まりだとされている。

 当時は金太郎の名でお馴染みの金時の息子金平(きんぴら)が仲間と共に悪人退治に活躍する、戦隊ヒーロー物の走りのような人形劇が大流行していた。ちなみにそれは荒っぽくて騒々しい人形劇だったので、きんぴらごぼうの語源ともされている。

2022.11.21(月)
文=松井 今朝子