アクシデントから生まれる“隙間”の贅沢さ
――フラットではない、日常にひそむいろんな機微は、『窓辺にて』の端々に滲んでいます。何かを口にしようとしてタイミングが合わず言いよどむ瞬間、お土産のケーキを口にして感想を言い合うときの一瞬の間、不倫相手のネイルをめぐる些細な会話……。
意識的に演出している箇所と、細かく指示せずに役者さんにお任せしているところがありますね。個人的に、“隙間”で生まれるものは、とても好きなんですよ。たとえば序盤に、会話中、ある果物の実が床に落ちるシーンがあるんですが……。
――稲垣さん演じる市川と、玉城さん演じる留亜の会話シーンですね。観客の皆さんも、一瞬「あっ」と思うかもしれません(笑)。
実は、あれは脚本や演出で指定されたものではない、ちょっとしたアクシデントなんですよ(笑)。
撮影していたら、玉城さんが手にした房から実が落ちて、稲垣さんも演技を続けながら拾ってテーブルの上に置いた。こちらはカットをかけずにカメラを回し続けたんですが、あの生まれた“隙間”を生かしたかったので、シーンの撮り方も編集も変わりました。
まずは現場で役者さんの芝居を見ながら考え、そうして撮れたもののなかにある“隙間”を残そうと、また編集の段階でまた考えるというか……がっちりと全体をコントロールしてつくろうとは思っていないんです。
――この映画の「贅沢」な感触は、そうしたところに宿っているのかもしれません。
あるシーンで、寝ていた留亜が、朝起きあがって、ゆっくりと窓に近づいていくカットがあります。あれ、実は編集で切っても物語としては成り立つんですよ。でも、自分としては残したいな、と。
寝起きって本当は、目が覚めて、まずはもぞもぞ動き、上体を起こして、ベッドの縁に腰掛けて――というようにリアリティを追求すれば、とても時間がかかるものじゃないですか。本当に忠実に描こうとしたら、10分以上使ってしまうかもしれないんですけど……(笑)。そんなことが、そういう映画の嘘がずっと気になるんです。
「手放す」ことをめぐる解決しない問い
――コントロールしきれない“隙間”を残すということは、映画を部分的に「手放す」ことに近いのかもしれませんね。
危ないし、怖くもあります。演じていない時間といった、つまり映画の外側が取り込まれていくことにもつながっていくので。
これは、自分の年齢にも関係がある話かもしれないです。それこそスポーツ選手ではないですけど、実は演出力は、年々落ちていっていると感じるんですよ。
――え、そうなんですか?
役者さんの芝居に対するOKのラインが、昔より緩くなっているのはたしかです。もちろん、映画としてきちんとした質はクリアしたうえでの判断ではありますし、力が落ちているというよりは、許容する範囲が広くなっているということなのかもしれないんですが。
難しいですよね。監督ってギリギリまで迷うべきだと思っているので、できるだけ先を明確に決めないで撮影を進めることもあるんですが、「現場で言われても対応できないこともあるから、共有できることは先に共有してほしい」と、長年一緒にやっているスタッフから注意されたこともあるんです。
――「手放す」ことが、誰かに「任せる」ことにつながるとき、そこにはすぐに解決しない問いがありますね。
誰かに任せるということは、その人を信頼するということですよね。その人が提案してきたものを「違う」と言って否定してしまったら、信頼していなかったことになってしまうかもしれないのだけれど、でも提案してもらえたからこそ「違う」ことに気づける、というときもある。
たとえば、カメラマンさんがある場所にカメラを据えてくれたからこそ、「あ、ここじゃないな」とわかる瞬間もあるんです。
自分で決めないようにしていながら、結果として決めている。これはどうやったら解決するんだろう――と、ずっと考えているし、わからない。自分にとって、これからも取り組む、映画をめぐる課題なんだろうと思います。
映画『窓辺にて』
監督・脚本:今泉力哉
出演:稲垣吾郎、中村ゆり、玉城ティナ、若葉竜也、志田未来、倉 悠貴、穂志もえか、佐々木詩音 / 斉藤陽一郎 松金よね子
音楽:池永正二(あらかじめ決められた恋人たちへ)
主題歌:スカート「窓辺にて」(ポニーキャニオン/IRORI Records)
配給:東京テアトル ©2022「窓辺にて」製作委員会
11月4日(金)全国ロードショー
https://madobenite.com/
2022.11.04(金)
文=宮田文久
撮影=平松市聖