永野芽郁と‟シイノ“の化学反応に刮目せよ!

 人気俳優における「新境地」や「ターニングポイント」は、人によって変わるものかもしれない。本人がそう思っていなくても周囲がそう感じる場合もあり、使いがちな表現ではあれどバラつきも否めない。ただ、時として観客も本人も、そして周囲も満場一致で「新境地」と声をそろえる作品との出合いがある。永野芽郁にとって『マイ・ブロークン・マリコ』は、間違いなくその1本だ。

 各漫画賞に輝いた平庫ワカの力作を、『ふがいない僕は空を見た』『ロマンスドール』のタナダユキ監督が映画化。ある日突然親友のマリコ(奈緒)を失ったシイノ(永野芽郁)。マンションの屋上から飛び降りたマリコは、父親(尾美としのり)や恋人たちに暴力を振るわれ、人生をねじ曲げられてきた。彼女の遺骨を父親から奪ったマリコは、弔いの旅に出る――。

 正真正銘「役を生きた」永野のエピソードは、公開に向けて多くの人々に届いていることだろう。CREA WEBではその“器”となる永野の表現そのものについて、話を伺った。

――本作について、タナダユキ監督や奈緒さんにお話を伺っていても、強い原作愛を感じます。世に漫画原作の映画は数あれど、ここまで作り手側からの熱が伝わってくるのは珍しいのかなと。永野さんが現場で「原作愛」を感じた瞬間はありましたか?

 現場でも基本皆さん、自分のバッグに原作を持っていたと思います。ただ、全員原作への愛もリスペクトもあるけど、原作全てをなぞるのが正解かと言われると、きっとそうじゃない。生身の人間がやったときに逆に良くない場合もあるからこそ、「映画ではこう見せる」を全員が考えていた現場だったと感じます。

――なるほど。皆の原作愛が強く共通認識があるからこそ、その先を目指せるというか。

 その中で、タナダさんが舵を取ってみんなを導いてくれました。タナダさんは原作愛もすごいし、きっとご自身の中で「ああしよう、こうしよう」という想いはあったかと思うのですが、いざ私たちがやったときに仮にビジョンから逸れていても「シイノを演じているのは芽郁ちゃんなんだから、そう思ったらそうなんだよ。めっちゃいいじゃん!」と言ってくれる方なので、タナダ監督と奈緒ちゃんだから私は成立できたと思います。

 原作も素晴らしいですし、脚本も素敵だったので「この世界観を壊すとしたら自分だけだ」ととにかく不安でした。衣装合わせのときもクランクインのときもタナダさんに「できる気がしないです」と伝えたのですが、タナダさんが「え、なんで? 芽郁ちゃんしか演じられないんだから絶対できるよ」と説得でもお世辞でもなくまっすぐ伝えて下さったので、毎回背中を押されてなんとか乗り越えられました。

 奈緒ちゃんも、私がどんなに弱音を吐いてしまっても「絶対大丈夫」と勇気づけてくれて、ずっと支えてくれました。最初に本作のお話をいただいた際に「マリコ役は奈緒さんにお願いしたいと思っています」とお聞きして。自分としてもすごく好きな作品だし前向きに考えたかったけど、奈緒ちゃんがやってくれないとなったら厳しいかもなと感じていました。そんなときに奈緒ちゃんから連絡をもらって、二人で頑張って挑もう! と決めたところから始まったんです。

 奈緒ちゃんは自分の出番じゃないときも現場にいてくれ、奈緒ちゃんをそばに感じていられたからこそ私もすんなりシイノになれました。マリコ役が奈緒ちゃんじゃなかったら絶対できなかったと思います。

2022.09.30(金)
文=SYO
撮影=釜谷洋史