『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』と絶望的に題された麻布競馬場のデビュー作。発売前にして既に増刷。版元である集英社の会議室、本物のアザケイに会えると聞いてはやる鼓動を抑えきれず中を覗き込んだら、今どきの「なんなら普通にイケメン」がこっちを向いてニコニコしていた。「陰キャじゃなかった……」。顔出しはしない方針とのことだが、顔を出してもそれはそれで大人気だろう。
「気づきました? 僕、すごく……」
麻布競馬場という筆名は、猛烈に暗い色気を帯びている。アザという音を含みながら艶やかな高級感を纏った「麻布」と、そこからはまさか最も連想し得ない大衆の賭博「競馬場」。
だが本人は、そのどちらのイメージにも属さないシンプルでクリーンなユニクロの白Tシャツにネイビーのセットアップで擬態し、ごく真っ当なビジネスパーソンみたいに如才なくあっけらかんとした声で「もともとのアカウント名は麻布警察署だったんです」と言う。
「僕、都バスがすごく好きで。最近引っ越したんですが、以前麻布十番に住んでいた時は都バスによく乗ってて。『麻布警察署からのお願いです』っていうかわいいアナウンスが、毎回流れるんですよ。ひったくりに気をつけましょうとか、戸締まりしましょうとか。それで麻布警察署にしようと思ってTwitterを始めて。そうしたらインターネットでアザケイって呼ばれ始めたんですよ。なんですけど、PR案件とかの仕事がポツポツくるようになって、警察署じゃよくないなと思って。それで競馬場に変えたんです。アザケイって響きがいいし(笑)」
「ゴリゴリ働いている一般人です。今年で31になりました」
「今回、小説すばるで佐川恭一さんが書評書いてくれて。『私たちは出口のないレースコースに放り込まれる』って、僕の競馬場という筆名の意味を言い当ててくれたんです。みんな、自由に東京を駆けていると思ってるけれど、結局決められたコースを競わされて消耗しているだけ。それを僕は特等席から見てキャッキャ笑ってる。興行主の立場になることで、自分だけ輪っかの外に抜けることができるんですよね」
2022.09.12(月)
文=河崎 環