♪米津玄師「vivi」
なんとなくわかったでしょうか? これは音楽的に言うと、調性(注1)の外にある音を、堂々と反復的に使っているという表現です。調性外の音は、気をつけて使わないと簡単に不協和をもたらしてしまうものの、一方、調性外音を協和的に扱う手法もすでにさまざまに確立されています。ただここでの調性外音の扱いは、ほかではあまり聴かれないものです。
また、この曲のMVのイラストは米津くん自身の手によるものです。ハンプティダンプティのようだけど、人でも動物でもないような、その中間のようでも異生物でもあるような気持ち悪いキャラクターが描かれている。
穏やかな、どこか懐かしさや温かみを感じる楽曲世界の中に、音楽とイラストの両方で、ある種の「気持ち悪いなにか」あるいは「異形のなにか」が自然に登場している。「vivi」はそのような一例です。
ほか、歌詞だと挙げやすいので例を挙げるなら、「片足無くした猫が笑う」(「結んで開いて羅刹と骸」)とか、カラスが「君はもう大人になってしまった」と言ってくるとか(「リンネ」)。「首なし閑古鳥」はタイトルがもう強い異形のイメージを差し出しています。
さて、「vivi」はいまや米津玄師初期の作品です。その後、米津玄師はどんどんメジャーになってファンを増やしていきました。だから、世の中にはこういう声もあるようです。曰く、「メジャーになっていくのに反比例するように、丸くなってしまった」。あるいは、尖った部分を隠すことで一般大衆に受け入れられていったのだとか。ハチや米津初期にあった毒が、最近では解毒されてしまったと言う人もいるようです。
ハチ≠米津玄師。果たしてそうでしょうか。ここから、そのような考え方に反論していきます。すなわち今日の講義は、そのような考え方へのアンチテーゼとしての「ハチ=米津玄師論」です。
たとえば「Lemon」。18年2月に発表され瞬く間に大ヒットし、同年末の紅白歌合戦で歌唱され、翌年以降も勢いを落とすことなくカラオケのチャート上位にとどまりつづけた、名実ともに国民的アーティスト米津玄師を代表する1曲です。同曲の歌詞は、喪失の感情をストレートに表現するものであり、たしかに「毒がある」というものではないかもしれません。ですがこの曲には、むしろ誰もが気づくかたちで毒が存在してはいないでしょうか。
2022.07.19(火)
文=鮎川ぱて