繰り返される確認。先生による応援。引き伸ばされる一つひとつの工程。同様のやりとりは、他のシーンでも見られる。じゃがいもの皮をピーラーで剥くこと、大さじ1の水を計量すること、魚肉ソーセージを5ミリ幅にカットすること、パスタの鍋へ投入すること――。DAIGOの手にかかると、これらがあたかも一大ミッションのように扱われるのである。
そう、この番組のDAIGOにとって、すべての工程はそのつど立ち止まりクリアしなければならないミッションなのだ。通常の料理番組では一瞬で通りすぎるところに、番組はフォーカスを当てる。それは料理初心者にとって、ていねいな説明かもしれない。料理に挑戦する者の心理的なハードルも下げるだろう。
他方で、そのていねいさは、バラエティ的なおもしろさも生んでいる。DAIGOが砂糖を小さじではかる。小さじを持つ手が小刻みに震える。その手にカメラが寄る。見る側はそんな彼の一連の動作から目が離せない。皮むきは、計量は、日々の台所の当たり前は、あたかもミッション・インポッシブルの様相を呈する。
そして、そんなDAIGOの挙動をじっと見守る一方で、時に私たちは気づいてしまう。なぜ、私は人の計量を見て緊張しているのか? そう我に返ったとき、見る側は、少なくとも私はそのシュールさに笑ってしまうのだ。
DAIGOはほとんど調理をアシストしていない。もちろん、邪魔をしているわけでもない。では何をしているのか。これはもう、“DAIGO”をしている、としか形容できないかもしれない。
とにかくDAIGOを褒める講師たち
番組内のDAIGOは料理初心者である。“超“がつく初心者かもしれない。そのため、じゃがいもの皮むきシーンに見られるように、自分がすべきことを先生にほぼすべて“確認”する。やる前には「いいですか?」「いきますよ?」「こうですか?」、やった後には「どうですか?」「大丈夫ですか?」「できてますか?」である。これまでテレビが扱ってきた“男の料理”の大雑把さや独自のこだわりは、きれいさっぱり排除されている。
2022.06.06(月)
文=飲用てれび